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《命日》任天堂の元社長・岩田聡、ゲーマーから愛された「プログラマー」としての顔

「俺がプログラムを書くから、企画、書きな」

編:ほぼ日刊イトイ新聞「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」(株式会社ほぼ日)
編:ほぼ日刊イトイ新聞「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」(株式会社ほぼ日)

 『MOTHER2』では、プログラマーとしての腕を「立て直し」に尽力しましたが、もちろん「立ち上げ」に関わったことも少なくありません。そのなかでも多くの方が驚くのは、『大乱闘スマッシュブラザーズ』の立ち上げに関与している点でしょう。

 ただし、この説明だけでは十分とは言えず、『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズの原点となった1作目『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』のプロトタイプに関わった、と表現した方がより正確です。

 『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズの生みの親といえば、桜井政博氏に他なりません。そもそもの発案も桜井氏ですし、ダメージを溜めて相手を吹き飛ばしやすくするといった本シリーズの根幹に関わる要素も、当初から既にあったそうです。

 ですが、こうした新しいゲームのアイデアが、いきなり新作の開発に繋がるわけではありません。まだ形にもなっていなかった頃、「さっさと作って動かした方がいい」と力強く背中を押した人物こそが岩田氏でした。しかも制作を促しただけでなく、「俺がプログラムを書くから、企画、書きな」と、協力体制も申し出たのです。

 企画・仕様・デザイン・モデリング・モーションなどは全て桜井氏が手がけ、プログラムを岩田氏が担当。そしてサウンドを担当したもうひとりを加え、わずか3人で『スマブラ』のプロトタイプが作られました。

 また驚きなのが、その開発体制です。それぞれ通常の業務を抱えているため、岩田氏はデータや仕様を受け取ると、土日にかけてプログラムに取り組み、その成果を桜井氏に届けるというやり取りで制作に当たりました。

 例えば同僚が素晴らしい企画を用意したとして、それを実現するために自分の休日を一定期間費やせるかと言われれば、即了承できる方はそう多くないでしょう。躊躇するのはむしろ当然ですし、休日に身体を休めるのも大事な体調管理なので、関わらないという道も立派なひとつの選択です。

 ですが岩田氏は、むしろ自ら関わる形で、『スマブラ』のプロトタイプ開発に加わりました。また、制作中の桜井氏とのやりとりについて「あれは、おもしろい経験でした」と語っており、どこまでも前向きな姿勢に改めて驚かされます。

 ここまで岩田氏が尽力したのは、桜井氏への信頼やアイディアが魅力的だったのも大きな理由でしょうが、名プログラマーとしての嗅覚が、まだ形になっていないこのゲームの素晴らしさを感じ取ったからなのかもしれません。

 このプロトタイプがきっかけとなり、まずは『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』が登場。そして、確かな人気と反響を受けて次々とシリーズ作品がリリースされ、最新作『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』は2800万本(2022年3月末時点)を超える大ヒット作へと成長しました。

 もちろんこれだけの成果は、中心人物である桜井氏が最も大きく貢献していますが、プロトタイプのプログラムを担当した岩田氏が果たした役割も、決して小さなものではありません。最初の1歩がなければ、千里の道のりに至ることはありませんから。

●7年を経ても、その面影は以下もまだ色濃く……

 社長として大きな成果を築き上げた岩田氏は、プログラマーとしても多大な功績を残しました。その両輪があったからこそ、岩田氏は多くのゲームファンから今も語り続けられているのでしょう。

 ですが、「社長」と「開発者」が、岩田氏の中にある「ゲーム関係者の全て」とは言い切れません。実は、最初に紹介した文章には、もう少し続きがあります。

「──名刺のうえでは、わたしは社長です。
 頭のなかでは、わたしはゲーム開発者。
 しかし、こころのなかでは、わたしはゲーマーです」

 多くのゲームファンから愛された、多くのゲームを愛したファンに、心からの尊敬を。

参考書籍:「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」

(臥待)

【画像】名作ばかり! 岩田聡氏が携わったゲームたち(6枚)

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