マグミクス | manga * anime * game

3月30日は『宇宙戦艦ヤマト』最終回の放映日 ヤマトが救おうとしたのは「地球」ではなかった?

1974年10月~75年3月に全26話が放映されたTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』は、「テレビまんが」から「アニメーション」へと進化を遂げた記念碑的な作品でした。Amazon Primeビデオで配信が始まるなど、今も多くのファンから愛され続けています。そんな『宇宙戦艦ヤマト』が企画された背景を探ります。

ヤマトの地球帰還が描かれる最終回

「ヤマト」は、遊星爆弾の攻撃で赤くなった地球を救うために宇宙の旅を続けてきた。画像は「宇宙戦艦ヤマト 1」DVD(バンダイビジュアル)
「ヤマト」は、遊星爆弾の攻撃で赤くなった地球を救うために宇宙の旅を続けてきた。画像は「宇宙戦艦ヤマト 1」DVD(バンダイビジュアル)

 滅亡寸前の地球を救うため、旧日本海軍のシンボルだった戦艦大和を宇宙船に改造し、はるかイスカンダル星を目指して旅立つ……。1974年~75年に放映された『宇宙戦艦ヤマト』(日本テレビ系)は、夢とロマンあふれる壮大なストーリーと、人気漫画家・松本零士氏による精巧なメカデザインと人間味豊かなキャラクターたちに魅了された、画期的なSFアニメでした。

 再放送と劇場版の公開によって、『宇宙戦艦ヤマト』は大ブームを巻き起こします。『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットがなければ、日本のアニメ事情はずいぶん違ったものになっていたでしょう。庵野秀明監督が企画・プロデュースした放送50周年記念「宇宙戦艦ヤマト全記録展」が渋谷西武にて開催(2025年3月31日まで)されるなど、多くのクリエイターたちに影響を与えています。

 2025年3月30日(日)は、『宇宙戦艦ヤマト』全26話の最終回「地球よ、ヤマトは帰って来た」が放映されて50年の節目に当たります。視聴者の胸に刻まれた沖田十三艦長の名言、そして『宇宙戦艦ヤマト』が企画された当時の事情について振り返ります。

地球に帰ってきた沖田艦長の言葉

 デスラー総統率いるガミラス星との壮絶な戦いを経て、ヤマトは謎の美女・スターシャが待つイスカンダル星へと到着しました。スターシャから「放射能除去装置」を受け取ったヤマト一行は、滅亡までカウントダウン状態にある地球への帰路を急ぎます。

 もう少しで地球というところで、ガミラス星で死んだはずのデスラー総統が執念深くヤマトに迫り、白兵戦を挑んできます。ヤマト艦内に放射能ガスが流れ込むなか、艦長代理を務める古代進とデスラー総統が直接対峙する緊迫シーンが続きます。

 古代進を救うため、森雪はまだテストしていない「放射能除去装置」を起動させるのですが、起動の際に酸欠状態となり、森雪は命を落とします。愛する森雪の遺体を抱えた古代進が「雪、一緒に地球を見ような」と艦橋へと向かうシーンが涙を誘います。

 さらに沖田艦長の名言も忘れられません。長い宇宙生活によって、沖田艦長は宇宙放射能病に冒されていました。艦医の佐渡先生に「しばらく、ひとりにしてくれまいか」と頼むと、艦長室から見える地球を眺め、「地球か、何もかも みな懐かしい……」とつぶやくのでした。いつも前向きな発言をしてきた沖田艦長が最期に漏らした、感傷的な言葉でした。

【画像】長い旅だったな… これがボロボロになった「ヤマト」です

画像ギャラリー

1 2