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セガ『ハングオン』40周年 「体感」ブームはアーケードゲームになにをもたらした?

バイク型筐体にまたがり傾ける、操縦桿を倒すとコクピット風筐体も動く……80年代に登場した体感ゲームはブームとなり、そしてゲームセンターに何をもたらしたのでしょうか。

家庭用ゲームでは再現できない「体」で「感」じるゲーム

YouTubeセガ公式チャンネル「セガ Wii(R) バーチャルコンソール公式サイト スーパーハングオン」より。1987年にリリースされた『ハングオン』の後継タイトルで、セガ体感ゲーム第5弾 (C)SEGA
YouTubeセガ公式チャンネル「セガ Wii(R) バーチャルコンソール公式サイト スーパーハングオン」より。1987年にリリースされた『ハングオン』の後継タイトルで、セガ体感ゲーム第5弾 (C)SEGA

 セガ・エンタープライゼス(当時)の体感ゲーム『ハングオン』(1985年)が今年2025年に40周年を迎えます。体感ゲームとは、ザックリいうと人が乗り込む大型ゲームマシンで、操作に合わせて筐体(きょうたい)が動きます。その派手さでゲームセンターの華となりました。

 このころ、ゲームの最先端といえばゲームセンターでしたが、社会的イメージは良いとはいえない状態でした。1983年には警視庁少年一課が「東京にあるゲームセンター1169店の半数以上が(いわゆる不良の)たまり場になっている」と業界団体に自主規制を申し入れているのですから、推して知るべしでしょう(『それは「ポン」から始まった:アーケードTVゲームの成り立ち』著:赤城真澄/アミューズメント通信社/2005年/P316/一部補足)。

 そこに登場したのがセガの体感ゲームです。大型のバイク型筐体にまたがり、これを傾け画面内のバイクを操るレースゲーム『ハングオン』や、操縦桿を動かすとコクピット型筐体が動く3Dシューティング『スペースハリアー』(1985年)、オシャレなスポーツカーのような筐体に乗り込み、風光明媚なコースを疾走する『アウトラン』(1986年)といった作品が話題となり、ブームが訪れたのです。

 筆者の個人的な印象として、ゲームセンターに飲み会帰りの大学生やサラリーマンといった一般層が少し増えた気がします。また大型ショッピングセンターのアミューズメントコーナーには、体感ゲームを家族連れが楽しむ姿も見られました。

 彼らの遊び方は、みんなではしゃぎながら筐体の動きを無邪気に楽しむ「ミニ遊園地」ともいえるものでした。「ゲームセンター=不良のたまり場」のイメージが消えたわけではありませんでしたが、一筋の光が差し込んだ感はあったのです。

 体感ゲームの魅力のひとつは、筐体の動きや振動に最新ハードによるリッチな映像が加わった、ゲームセンターでしかできない遊びにあります。これは現代の最高級ゲーミングPCにさえ不可能な体験です。遊ぶにはゲームセンターに行き、順番待ちをした上で高い料金を払う必要がありましたが、それだけの価値はあったと感じられました。

 体感ゲームの人気タイトルは、家庭用ゲーム機に移植されています。もちろん筐体が動いたりはせず、映像表現も家庭用ゲーム機なりのものになりましたが、限られた性能のなかでゲームとしての遊びを再現する手腕が評価されています。それくらい体感ゲームブームは大きなもので、自宅で雰囲気だけでも味わえるのであれば御の字だったのです。

 そして、ブームに乗って各社が大型筐体のゲームを発売しました。ジャンルも筐体のギミックもさまざまな大型筐体が並び、ゲームセンターの通路が狭く感じられるようなこともあったのです。

 このように盛り上がった体感ゲームブームにも、やがて陰りが見えてきます。当時筆者が複数のゲームセンター店主から聞いたところによると、筐体の値段が高価な上、設置には広い面積を要し、メンテナンスや部品の調達も大変であったそうです。

 大手メーカーの直営店ならともかく、敷地が狭く人手も限られた個人経営店が最新の体感ゲームを揃えて運用するには限界があったといえるでしょう。プレイ料金も高騰し、ブーム終焉期の3Dシューティング『G-LOC』(セガ、1990年)では、1プレイ500円に達しています。

 こうして体感ゲームブームは収束しました。その後カプコンの『ストリートファイターII』(1991年)から格闘ゲームのブームが到来し、ゲームセンターの主役は対戦台へ移行します。その原型たる『ストリートファイター』(1987年)の専用筐体には、感圧ボタンを殴った強さで技の強弱が決まる体感要素があったことは記しておきたいところです。

(箭本進一)

【画像】昔ゲーセンで見たわ 『ハングオン』の「ライドオンタイプ」はこんな感じ

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