駆逐艦「雪風」なぜあんなにツイてたの? 艦の命運を左右する(?)「先任伍長」とは
「気風」を作り上げるのは「先任伍長」?

実際の先任伍長が特別な地位であることは、艦に個室を持っていることからも分かります。「先任伍長室」の看板を掲げた扉をノックするのは、下士官、兵はもちろん、士官でも緊張するそうです。先任伍長室はいわば生徒指導室のようであり、カウンセリングルームでもありました。
劇中の雪風の早瀬先任伍長は親しみやすく、昭和スパルタ的な日本海軍イメージとは一線を画す「ほのぼの感」を出しながらも「締める所は締めるメリハリ」が描かれます。
先任伍長は、戦中には熟練下士官が不足していたため、優秀な人物は同じ艦に長く留め置かれる傾向がありました。駆逐艦は小世帯なので、乗組員は家族的であり、「母」のやり方がそのまま気風となって艦の個性にもなったわけです。
では「父」たる艦長はというと、史実では通常1年半から2年で人事異動がありました。雪風の太平洋戦争開戦から終戦までの艦長は4名で、在任期間は8か月から1年5か月と短めです。戦死傷ではなく、いずれも過労による交代とされています。現場力の高い組織に赴任した管理職がプレッシャーに潰れてしまったともいえそうですが、艦長が代わっても雪風の運勢は変わりませんでした。
映画のなかで雪風を「幸運艦」と呼ぶセリフが何度か聞かれます。しかし、実は戦中「雪風はツキがいい」と噂される程度で「幸運艦・雪風」とは戦後に定着した呼び名です。現在進行形の戦争渦中にある乗組員にとって、自艦が幸運か不運かなど知る由もありません。戦後、ほかの艦艇の運命が明らかになり、昭和30年代の戦記ブームで幸運艦雪風の物語が始まったのです。自分の運勢など客観的に評価することはできません。閉塞の気風漂う戦後80年の令和日本では啓示的です。
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戦後の雪風は復員船として多くの日本人を帰国させ、1947(昭和22)年に戦争賠償艦として中華民国に引き渡され、「丹陽(タンヤン)」と改名されて中共軍艦とも交戦しています。1965(昭和40)年退役、解体され、1971(昭和46)年に舵輪と錨が日本へ返還され海上自衛隊第1術科学校に、スクリューは台湾の左営にある海軍軍官学校に展示されています。
(月刊PANZER編集部)