アンヌ隊員のひと言が導いた「ウルトラ俳優」古谷敏の帰還 一時は清掃会社に就職も…?
「ウルトラマン」のスーツアクター、そして「ウルトラセブン」のアマギ隊員――。かつて子どもたちのヒーローだった古谷敏さんの「その後」の人生は、誰もが想像しなかった波瀾万丈の道のりでした。
『ウルトラセブン』の後、会社を興して経営に乗り出すが…?

1966年放送の『ウルトラマン』では「ウルトラマン」のスーツアクターとして、1967年放送の『ウルトラセブン』ではアマギ隊員役として出演された古谷敏(ふるや・びん)さんは、記事執筆時点では81歳になります。現在でも、あのスラリとしたスタイルは健在で、「ウルトラ」関連のイベントなどに出演し、筆者を含む多くの特撮ファンを喜ばせています。
今でこそファンの前に姿を見せる機会が増えた古谷さんですが、かつては「消息不明」とまで言われた時期がありました。その「復帰」のきっかけとなったのが、『ウルトラセブン』でアンヌ隊員を演じた、ひし美ゆり子さんの存在だったのです。一体、どんなドラマがあったのでしょうか。
「俳優」としての古谷敏さんの道のりは、多くの役者さんにとってもそうであるように、決して平坦ではありませんでした。『ウルトラマン』のスーツアクターを担当した時期も、俳優としてはまだ駆け出しの頃でした。「顔を売ってなんぼ」の大事な時期だったため、何度も断ったのですが、ウルトラマンのデザインを担当した成田亨さんの熱意に心を動かされ、出演を承諾しました。その名演技は、現在も語り継がれています。
続く『ウルトラセブン』では、知的で繊細なアマギ隊員の役に抜擢されました。まさに古谷さんの持ち味が光る、ハマり役だったといえるでしょう。
では、その後の古谷さんは、どんな人生を歩まれたのでしょうか。
『ウルトラセブン』の放送終了から1か月後に、古谷さんはイベント会社「ビンプロモーション」を設立します。主に遊園地やデパートの屋上で「怪獣ショー」を開催する会社で、円谷プロから怪獣の着ぐるみを借りて、古谷さん自身がショーの司会を務めました。つまり、『ウルトラセブン』後は、事実上、古谷さんは役者業を引退されていたのです。
幸い、時代は怪獣ブーム真っただなかで、大手スーパーの開店ラッシュとも重なり、イベント会社の売り上げは右肩上がりでした。10人の社員を抱え、年商も3億円から4億円に増えました。その間、古谷さんはひたすら、会社経営に徹していたのです。
しかし、80年代に入ると怪獣ブームは終焉してしまいます。徐々に怪獣ショーの依頼も、観客も少なくなっていくなかで、1991年に「ビンプロモーション」は業務が続行できずにとうとう解散してしまいました。以降、古谷さんは経歴を隠し、ビルの清掃会社に再就職しました。ビルの窓拭きなどをしながら生計を立てていたのです。
当時、知らない間に古谷さんに職場を掃除してもらっていた……といった特撮ファンもいたかもしれません。
その期間、「ウルトラ」の関係者の間では、古谷さんは「消息不明」の状態でしたが、2007年に故・成田亨さんの展覧会を訪れ、名刺を残してきたことが転機となります。翌日、成田さんの奥様より涙ながらの連絡があり、さらにアンヌ隊員役のひし美ゆり子さんから「ずっと探していた」と連絡がありました。
再び、ウルトラ警備隊の「元同僚」や円谷のスタッフたちとの交流が再開したのです。もし、あの時、ひし美ゆり子さんが声をかけていなかったら、古谷さんの時計は止まったままだったかもしれません。
そして今も私たちの前に経ち続けている古谷敏さんは、まぎれもなく「我らのウルトラマン」なのです。
(片野)