「スペシウム光線」ポーズにはモデルがあった? 撮影現場で挙がった「国民的ヒーロー」の名前とは
特撮ヒーローは必ず「必殺技」を持っています。『ウルトラマン』の「スペシウム光線」は、そのパイオニア的な存在ですが、参考にするものがないゼロのスタートから、どうやって作ったのでしょう?
発射ポーズをどうするかは現場に委ねられていた?

「ヒーローの必殺技」と聞いて、ウルトラマンの「スペシウム光線」を挙げる人は今も多いでしょう。右手を縦、左手を横にした、みんながマネできる「+(プラス)」のポーズは59年前の1966年に誕生しましたが、あのポーズにモデルがあったことをご存じでしょうか?
1966年3月、『ウルトラマン』最初の撮影は、第2話、3話、5話が平行して行われました。必殺技として、光学合成映像による「光線」を出すことは決まっていましたが、ウルトラマンがどのように発射するかは撮影現場に委ねられていました。
「ウルトラマン」のスーツアクター「古谷敏」さんは、書籍やインタビューで、スペシウム光線の誕生秘話を打ち明けています。
第5話「ミロガンダの秘密」のスタジオ撮影中にスタッフ数名が集まって話し合いになりました。光線を「目から出す」、「カラータイマーから出す」、いろいろな案が出ました。古谷さんは、ウルトラマンのスーツを着用してアクションを見せていたので、汗だくでヘトヘトだったそうです。とにかく世界初の光線技なので、参考にするものがなく行き詰まりました。
そこで古谷さんが、ふと思い出したのが昭和の国民的ヒーロー「力道山」の「空手チョップ」でした。マネをしてチョップを見せると、「いいね!」となったそうです。そう、「スペシウム光線のポーズのモデルは、力道山の空手チョップ」だったのです。
古谷さんは、手刀を垂直に振り下ろしたり、横から水平チョップを出したりと、いろいろな動きをして見せました。すると「飯島敏宏」監督の「水平の手は防御、垂直の手は攻撃」という言葉をきっかけに、右手を縦にして敵に向けるポーズが決まります。
ただ、光学合成技師の「中野稔」さんから、「右手が動くと書いた光線がぶれてしまう」と指摘されたため、そこからまた大会議が始まりました。両手をいろいろと動かしていると、「古谷さんの指が長くてキレイなので見栄えする」ことから、ピンと指を伸ばした左手を右手の前にクロスさせて固定するポーズが出来上がります。こうして「スペシウム光線」の型が決まったのです。
さらに、古谷さんは、特技監督の「高野宏」さんからアドバイスを受けます。立てた手が顔にかからないように少し腰を下ろして。そして、カラータイマーが見えるように、クロスした腕を体の中心ではなく、やや右側に構えました。これで、さらに完璧な全体ポーズが完成しました。
そして、飯島監督からこんなことを言われます。「ウルトラマンは武器を持たないから、この光線が敵を倒す最大の必殺技になる。毎回使う」。
古谷さんは、「スペシウム光線」の型を体に覚えさせるために三面鏡を購入し、自宅で1日300回、ポーズの練習に励みました。陰では過酷な努力を重ねていたのです。
戦後の最強ヒーロー「力道山」は、1963年に、暴漢に刺されて急死します。あの「空手チョップ」は幻になったのです。しかし3年後、TV界に最強ヒーローが誕生します。必殺技のモデルは、あの空手チョップだと知らない人は多いでしょう。もし、力道山がいなければ、「ウルトラマン」のスペシウム光線は全く違うポーズだったかもしれません。
なお、飯島監督は『ウルトラマン大全集』(講談社)のなかで、スペシウム光線のポーズについて、「時代劇に出てくる、忍者の手裏剣を投げる構えと、真剣白刃どりの構えを合わせた」と話しています。飯島監督にそのイメージはあったのかもしれませんが、今回は、古谷敏さんが、いくつかの書籍やインタビューで証言している「力道山の空手チョップ」の内容をご紹介させていただきました。
(玉城夏)
※参考文献
・『ウルトラマンになった男』(小学館)
・『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(集英社)
など