「子供にとって最高の日曜日」だった、『グレンダイザー』と『鋼鉄ジーグ』 関係者が明かした意外な誕生経緯とは?
『ジーグ』TVアニメ化に大きな影響を与えた「モノ」とは?

実は『ジーグ』という作品は、企画当初からアニメというわけではありませんでした。TVアニメ化より以前、「テレビマガジン」1975年5月号で発表され、マンガ連載が翌月から始まっています。これに関して、筆者は当時のテレマガ編集長だった田中利雄さんに聞いたことがありました。
ある日、玩具メーカー「タカラ」に呼ばれた田中さんは、金庫の中にあった試作品のオモチャを見せられたそうです。それは間接に球体磁石を使ったオモチャ、後に「マグネモ」と呼ばれるシリーズとなるものの原型でした。
しかし、原型はほとんど素体でデザインのないものだったそうです。そこで田中さんはタカラ側から、「この素体をデザインできる人を紹介してほしい」と言われました。そういった経緯から田中さんはダイナミックプロを紹介、多忙だった永井先生はアシスタントだった安田達矢先生に一任したそうです。
こうして安田先生によるマンガ連載がテレマガで開始されました。この『ジーグ』が、安田先生のデビュー作となったそうです。この流れの後、東映動画が打診してきて、とんとん拍子でTVアニメ化が決まりました。
ちなみにTV番組の企画から携わったことは、タカラとしてはこれが初めてだったそうです。こうしてTVアニメ化を追い風に「鋼鉄ジーグ」のオモチャが販売されました。磁石によるパーツの入れ替えという画期的なギミックにより、ジーグのオモチャは超合金を上回るヒットとなります。
子供の頃の筆者の体験談になりますが、当時は売り切れが多かったためジーグが買えずにパーンサロイドだけを買ったことがありました。また後に玩具屋で働いた際、店長に過去もっとも売れたオモチャを聞くと、即答で「鋼鉄ジーグ」と返されたことがあります。
こうした玩具セールスの好調さから『ジーグ』は半年の放送予定だったものが延長となりました。そして、これ以降もマグネモシリーズは続くことになります。
そして、この成功体験がテレマガ編集部とタカラの関係を固いものにして、後にヒット作となる『ミクロマン』の連載へとつながりました。この縁が後に『トランスフォーマー』へとつながるわけですから、その影響力は長きに渡ってのものといえるでしょう。
ちなみに『グレンダイザー』と『ジーグ』には、幻となった『UFOロボ グレンダイザー対鋼鉄ジーグ』という劇場版企画がありました。しかし、これも近年では海外で別な形で作品化されています。
誕生から今年で半世紀、当時の子供たちにとって最高の日曜日だったかもしれません。
(加々美利治)