「原作者が苦言」はなぜ? ジブリ『ゲド戦記』は何が問題だったのか
アニメ化や実写化についての、原作者とのトラブルは枚挙に暇がありません。スタジオジブリによるアニメ作品にも、原作者が怒りと失望を露わにしたことがありました。
宮崎駿監督がアニメ化を熱望した名作ファンタジー

先日配信したマグミクスの「『すべて違ってる』『悔しかった』 何が起きた?「原作者が激怒」したアニメ」という記事で、「原作者が苦言を呈したアニメ」について取り上げたところ、記事に多くのコメントが寄せられました。そのなかでも多かったのが、2006年にスタジオジブリが制作した、宮崎吾朗監督のアニメ映画『ゲド戦記』に関する反応です。
「原作者激怒、記憶に鮮明なのは『ゲド戦記』」
「『宮崎駿が監督すると聞いていた』と怒られたそう」
「『ゲド戦記』は原作者が激怒するのも理解できた…」
などの声が上がっていました。はたして、実際はどんなことが起こっていたのでしょうか?
アーシュラ・K・ル=グウィン氏による小説『ゲド戦記』は、ファンタジー作品の古典として『指輪物語』や『オズの魔法使い』などと並び称される作品です。魔法や竜が存在する異世界を舞台に、若き魔法使い「ゲド」の成長が描かれます。刊行に30年以上の月日を費やした、全6巻の長編です。
宮崎駿監督も『ゲド戦記』の愛読者でした。『風の谷のナウシカ』を映画化する以前、版元を通じて映画化を打診しましたが、このときは断られてしまいます。その後、宮崎監督はスタジオジブリを設立し、『となりのトトロ』『もののけ姫』などを続けて発表。『千と千尋の神隠し』ではベルリン国際映画祭で金熊賞、アカデミー賞長編アニメ賞を受賞し、世界的な巨匠として評価を受けるようになりました。
そして2003年の秋、ル=グウィン氏側から「ジブリでアニメ化してもらいたい」と、提案がありました。宮崎監督の長年の宿願であったためジブリ内は沸き立ちますが、ちょうど『ハウルの動く城』制作の真っ最中で身動きが取れず、宮崎監督自身も監督を断っています。
企画は難航し、監督候補とされていたアニメーターも降板してしまいましたが、『ゲド戦記』は2006年に公開することが決定していました。後がなくなった鈴木敏夫プロデューサーは宮崎駿監督の息子、宮崎吾朗さんを監督に推挙します。こうして、宮崎吾朗監督が誕生したのです。
しかし、ル=グウィン氏が望んでいたのは宮崎駿監督による映画化だったので、すぐには了承されませんでした。そこで宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーがアメリカに渡り、ル=グウィン氏と面会します。長時間にわたる交渉は難航しましたが、最終的にル=グウィン氏は「あなたの息子、吾朗さんにすべてを預けます」と言い、宮崎駿監督は感激の涙を流したそうです。
ここから宮崎吾朗監督による作業が急ピッチで進んでいきます。原作になかった「父殺し」というアイデアを盛り込んだのは、鈴木プロデューサーです。「父さえいなければ、生きられると思った。」というキャッチコピーとともに、06年7月に公開された映画は興収76.9億円を記録して、この年の邦画1位になりました。