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『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』に「つまらない」との声? 考えられる理由とは

2021年にアニメ放送が決まった、アニメ『鬼滅の刃 遊郭編』。そのもう少し先のエピソードである「刀鍛冶の里編」ですが、一部では「つまらない」という声をちらほら聞きます。ファンのひとりとして、その理由を考察してみました。

いまいち盛り上がれない理由は「鬼」にある?

『刀鍛冶の里編』が描かれる 著:吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第13巻(集英社)
『刀鍛冶の里編』が描かれる 著:吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第13巻(集英社)

 TVアニメ放送が決まった『鬼滅の刃 遊郭編』の次のエピソードにあたるのが『刀鍛冶の里編』です。この『刀鍛冶の里』について、一部では「つまらない」という声をちらほら聞きます。ファンのひとりとして、その理由を考察してみました。

※この記事では、まだアニメ化されていないシーンの記載があります。原作マンガを未読の方はご注意ください。

『遊郭編』での激闘で負傷した主人公・炭治郎は、ケガの回復と折れてしまった刀を直すため、刀鍛冶職人が暮らす隠れ里へ。そこで霞柱・時透無一郎や恋柱・甘露寺蜜璃、不死川玄弥らと会い、里を襲撃した上弦の鬼たちに立ち向かいます。

●鬼への感情移入、絶望感がうすめ?

『刀鍛冶の里編』を「つまらない」と感じてしまう人がいるのはなぜか。その要因として大きいのが、対峙する「鬼」の存在にあるのではないでしょうか。『鬼滅の刃』の鬼たちは、その圧倒的強さによって、物語に絶望感をもたらします。『無限列車編』における猗窩座は、まさに上位の鬼の強さを象徴する、絶望の権化でした。

 それに加えて、鬼の存在が作品を際立たせる要因が「敵側の内心描写」です。人間に対して残虐の限りを尽くす鬼も、かつては人間でした。人間だった頃、彼らの多くが悲しいエピソードを背負っています。2021年のアニメ放送が決定している『遊郭編』の鬼・堕姫と妓夫太郎もそのひとりです。無類の強さを欲するにいたった経緯と、そこに共感してしまう心優しい炭治郎の心情を見て、読者の心も揺さぶられるのです。

 一方で、『刀鍛冶の里編』に登場する鬼、半天狗と玉壺はこうした感情移入の余地があまり存在しません。良くも悪くも自分本位で、他者を蹂躙することをいとわない鬼です。いい意味で分かりやすい敵であるため、絶望感よりも怒りを覚える存在と言えるでしょう。普段は鬼殺隊士&鬼の両方に思いをはせることができるのに、このエピソードではそれが難しい。このことが、エピソード全体の魅力を弱めてしまっているのかもしれません。

●最終決戦への「助走」的なエピソード

 しかし、『刀鍛冶の里編』がつまらないかと聞かれると、はっきり「NO」と答えられます。むしろ鬼殺隊側に対して、存分に思いを巡らせることができるストーリーなのです。

 まず物語の背景を考えると、鬼殺隊がかなり追い込まれていることに気付かされます。鬼を倒せる唯一の武器、日輪刀を打つ職人が全滅すれば、鬼への対抗策が消え去ります。しかも、里を襲うのは最上位の鬼、十二鬼月の上弦の鬼がふたり。これだけギリギリの状況を前に、柱ふたりがそれぞれ覚醒するという、バトルマンガの王道とも言える熱い展開が繰り広げられます。

 そして、物語最後にやってくる、禰豆子に起こる衝撃の変化……。『刀鍛冶の里編』は一見目立たないようで、実は最終決戦に向けた、さまざまな「助走」が秘められているストーリーなのです。

『刀鍛冶の里編』は、単体ではなく『鬼滅の刃』の物語全体から俯瞰することで、非常に重要なターニングポイントとなっていると気付きます。この点を意識して読み返すと、本編の良さや緊迫感を再発見できるかもしれません。

※禰豆子の「禰」は「ネ」+「爾」が正しい表記

(サトートモロー)

【画像】吾峠呼世晴先生による、2022年の『鬼滅』カレンダー

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