マグミクス | manga * anime * game

半世紀前の「1973年」何があった? 「オセロ」が社会を席巻、「レジェンドの死」の衝撃も

マンガの世界にも大きな変革が? 伝説的な事件も起こった1973年

1973年、ブルース・リーの突然の死は世界に衝撃を与え、やがて空前のカンフーブームが到来する。画像は「S.H.フィギュアーツ ブルース・リー(Yellow Track Suit) 約140mm PVC&ABS製 塗装済み可動フィギュア」(BANDAI SPIRITS)
1973年、ブルース・リーの突然の死は世界に衝撃を与え、やがて空前のカンフーブームが到来する。画像は「S.H.フィギュアーツ ブルース・リー(Yellow Track Suit) 約140mm PVC&ABS製 塗装済み可動フィギュア」(BANDAI SPIRITS)

 1973年に創刊した雑誌で記憶に残っているのは、やはり児童向けTV番組雑誌「テレビランド」でしょうか。先行していた同種の「テレビマガジン」が好調だったこともあり、マンガ連載を中心にしていた「冒険王」とあわせて、この時代の児童向けTV番組の人気を後押しする印象深い雑誌となります。

 少年マンガにも大きな出来事がありました。当時、雑誌発行部数第1位だった「週刊少年マガジン」で人気マンガだった『あしたのジョー』がついに連載終了します。もちろん主力作品はそれだけでなく、『天才バカボン』や『空手バカ一代』といった後年にも知られる人気作品が他にも連載されていました。

 この人気作品を擁する「マガジン」に猛追していたのが創刊5年目だった「週刊少年ジャンプ」です。当時の「ジャンプ」の看板作品だったのが、『荒野の少年イサム』、『ど根性ガエル』、『トイレット博士』などでした。ここにTVアニメでも人気となってきた『マジンガーZ』が加わり、この8月に「マガジン」を抜いて雑誌発行部数で首位となります。

 当然、「マガジン」側も手をこまねいていたわけでなく、『うしろの百太郎』、『愛と誠』、『バイオレンスジャック』、『釣りキチ三平』といった後に有名作品となるマンガを、この年から連載していました。しかし「ジャンプ」の勢いは止まることなく、現在に至るまで発行部数首位の座を守り切っています。

 ところが人気作品『マジンガーZ』の連載がちょうど同じ時期に終了しました。これはTVアニメ側が児童向け雑誌にも連載したいという要望から、「マガジン」と同じ出版社の講談社発行の「テレビマガジン」に掲載したことがきっかけです。

「ジャンプ」側としても、ライバル誌と同じ出版社に連載するのは耐えられなかったのでしょう。これをきっかけに「ジャンプ」編集部はアニメ会社に不信をいだくようになり、長期にわたって連載マンガのTVアニメ化を拒むようになります。

 この1973年には、他にもマンガに影響のある出来事がふたつほど起きました。そのひとつが読売巨人軍のリーグ優勝および日本シリーズ9連覇、いわゆる「V9」です。いまだに破られない記録として、当時の熱狂ぶりをおぼえている人も多いことでしょう。

 そして、この翌年の1974年には長嶋茂雄さんが引退しました。実在の人物ながらマンガのキャラクターに匹敵するほどの選手が消えたことで、この後の野球マンガは少年野球といった甲子園を舞台にするものが目立つようになります。

 もうひとつは映画俳優としてブームの真っ最中にあったブルース・リーの急死でした。1973年7月20日のことです。ブルース・リーの巻き起こしたカンフーブームの影響は、死去した後の方が熱狂的に思えるほどでした。

 翌年1974年に放送開始した『ウルトラマンレオ』や『仮面ライダーアマゾン』を見れば、その影響力は一目瞭然です。ブルース・リーは死去したことで伝説となった人物でした。個人的には「マガジン」で連載していた『地上最強の男 竜』で、イエス・キリストが「世界で一番強い男」として宮本武蔵と一緒によみがえらせた展開が印象的でした。

 この時にヌンチャクもブームとなって、筆者も駄菓子屋でプラスチック製のオモチャを買った記憶があります。もちろんブルース・リーのようには誰も使えず、自分の体にあたって痛い思いをすることになりました。

 この他にもさまざまな出来事があった50年前の1973年。みなさんはどんな思い出があったでしょうか?

(加々美利治)

※本文の一部を修正しました。(2023.1.1 12:18)

【画像】懐かしすぎる! 50年前、1973年に流行ったオモチャ、作品たち(8枚)

画像ギャラリー

1 2

加々美利治関連記事

もっと見る

アニメ最新記事

アニメの記事をもっと見る