次週『あんぱん』手塚治虫との「アニメ仕事」に注目 実はやなせたかしは鉄腕アトムより先に「TVのアニメ」を作ってた?
『あんぱん』では、手嶌治虫が嵩にアニメの仕事を依頼しました。実はやなせたかしさんは、手塚治虫より先にアニメを作っていたそうです。
70年近く前に始まったアニメの仕事

『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんとその妻の暢さんをモデルにした2025年前期のNHK連続テレビ小説『あんぱん』第23週では、「柳井嵩(演:北村匠海)」が、手塚治虫さんがモデルの天才漫画家「手嶌治虫(演:眞栄田郷敦)」から、アニメ映画『千夜一夜物語』のキャラクターデザインを依頼されたことが話題になりました。24週でも手嶌との仕事に要注目です。
手塚さんは1961年にアニメーション制作会社の虫プロダクションを立ち上げており、自身の代表作『鉄腕アトム』を「日本最初の長編テレビ用連続アニメ」(手塚治虫公式サイトより引用)として、1963年から1966年までアニメ化しています。アラビアンナイトをもとにした『千夜一夜物語』(1969年公開)も、虫プロによる日本初の大人向けアニメ映画として作られた意欲作でした。
やなせさんはさまざまな著書で、手塚さんから急に電話でアニメの美術監督、キャラクターデザインの仕事を依頼され、分からないことだらけで戸惑ったことを振り返っていますが、実は彼は虫プロ設立より先にTVで「アニメ」を作っています。
やなせさんは1953年に三越を辞めてフリーになってから、作詞や舞台美術、脚本など多彩な仕事をしており、TV局で構成の仕事も請け負っていました。NHK『まんが学校』(1964年~66年)では出演側に回るなど、さまざまな番組に携わったやなせさんが、自伝『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)で「一番印象に強く残っている」と綴ったのは、日本テレビで1957年から59年まで放送された『漫画ニュース』(途中から『漫画ショック』に改題)です。
『漫画ニュース』は現存するフィルムなどはもうないそうですが、同番組では「切り紙アニメーション(絵を切り抜いた平面のパーツを台の上で動かす手法)」が流れていました。『人生なんて夢だけど』によると、日本テレビの21時台のニュース番組の5分間が編成の都合上空白になったので、ニュースに関係したものであれば自由に何でもやってほしいとの依頼があったそうです。
そこで、やなせさんは「その日のニュースを読み、その場で漫画アニメにする」という形式の、文字通りの漫画ニュースを作ることにしました。『人生なんて夢だけど』の説明では、「局のドラマの稽古場の片隅にベニヤ板で囲いをつくり、そこへ十六ミリのカメラが置ける撮影台を設置して、コマ落としで撮影」して、「ごく原始的な初期の手法」である切り紙アニメを制作していたそうです。
やなせさんは「撮影が終わると急いで現像に出し、アルバイトが局へ持って帰る。画面を見ながら作曲して生バンドで伴奏音楽をつけるという、今では考えられない手数と時間のかかるぜいたくなことをやりました」と語っており、関わる漫画家やカメラマンもやなせさんが人選していたといいます。
かなり過酷な現場だったようですが、やなせさんは『漫画ニュース』での体験に関して、「当時は実に大胆不敵というか、依頼がおおらかで面白い時代でした」と振り返っていました。ちなみに、この番組の作曲には、のちに童謡「一年生になったら」「うたえバンバン」や、映画『男おとこはつらいよ』、大河ドラマ『武田信玄』、人気バラエティー『8時じだョ!全員集合』のテーマ曲など、数々の名曲を生んだ山本直純さん(当時は東京芸大指揮科の学生)が関わっています。
また、1992年からやなせさんが亡くなる2013年まで彼を秘書として支え、現在は株式会社やなせスタジオ代表取締役をしている越尾正子さんの著書『やなせたかし先生のしっぽ ~やなせ夫妻のとっておき話~』(小学館)では、やなせさんが切り紙アニメの実演をしてくれたエピソードが語られていました。
いつの頃かは不明ですが、切り紙アニメが披露されたのは、アニメ映画化もされたやなせさんの人気絵本『チリンの鈴』の上演会でのことだったそうです。嵐の夜のシーンがやってくると、やなせさんはOHP(オーバーヘッドプロジェクター)の上に、黒い紙をはさみで切って作った簡易的な仕掛けを設置し、その左右を持って大きく開けたり小さく開けたりして、稲光の点滅を表現しました。この上演後、やなせさんはぐったりしていたといいます。
手書きアニメとは違うため、やなせさんがこの経験を『千夜一夜物語』の現場で活かした、というようなことはなかったようですが、さまざまな「未体験」の仕事を創意工夫で乗り切り、大物たちから高い評価を受けてきたやなせさんらしいエピソードです。
(マグミクス編集部)
