「ザオリクかけて!」避けられないイベント死…「ドラクエ」世界における「死」とは?
変わる「HP0」の意味

こうした問題は、制作側も意識している節がうかがえます。かつて「しんでしまった」と表現されていた部分が、リメイクなどでは「ちからつきた」と変更されているものが見られるからです。これは死亡とも受け取れる表現ではあるものの、どちらかといえば「戦闘不能」というニュアンスに変わっている、といえるかもしれません。とはいえ、力尽きる直前までピンピンしている、という点に変わりはありませんが……そこはまぁ、割り切るとして。
実際、『ドラクエ11』では、主人公が戦闘中にHP0となり「しんでしまった」となっても、パーティーが全滅しないかぎり戦闘後にはHP1の状態で復活します。パーティーメンバーはHP0のままですが、そこは主人公補正として、ともあれここから主人公を含むパーティーメンバーの戦闘における「しんでしまった」が、先のオルテガとは異なる状態を指す、という解釈の余地が生まれるのです。これはどう読み解くべきでしょうか。
長年の議論のなかで見られる仮説には、「仮死状態(限りなく死に近い状態)による戦闘不能」というものもあります。つまりザオリクなどはその状態からの復活、という意味合いになり、死者の蘇生に見えるが決して同じではない、というわけです。この考え方は、死が不可逆的なものという見方を重視したものといえるでしょう。
「しんでしまった」が、「冒険者としての死(=行動不能)であり、肉体の死は意味していない」という解釈もあるようですが……やや観念的にすぎて直感的には受け入れがたいかもしれませんね。
さておき、戦闘における死亡がそのように、通常の「死亡」とは異なるものである、というのを前提とすることによって、「イベントにおける死亡」が「復活の余地のない死亡」として明確に描ける、ともいえそうです。
『ドラクエ11』にはプレイヤーキャラクターの死亡という、前例のないイベントがありました。そしてそれは以降の物語における、主人公や仲間たちが冒険を続ける強力な「動機」となる重要なものです。決して「ザオリクで復活させろ」というツッコミが入る余地を残してはいけない類のものであり、実際、イベントの描写においても、到底ザオリクをかける隙も余地もなさそうでした。そのあたりはさすが、徹底していたといえるでしょう。
ひるがえってHD-2D版『ドラクエ3』のオルテガは絶命したあと、息子の腕のなかで光の粒が散るように消えていきます。遺体も残りません。このあたりの演出は、先の『ドラクエ11』に通じるところがあるように見えます。「遺体が残らない」とはどういうことなのか、というツッコミはさておくとして、ひとまず、ザオリクで生き返らせる余地のないことはよくわかるイベントでした。ファミコン版当時、「ザオリクかけないとかおかしくね?」と散々に言い散らかしていた隣のクラスの彼も、きっと口をつぐむことでしょう。
ちなみにHD-2D版『ドラクエ3』では、クリア後のおまけではありますが、隠しボスの「しんりゅう」を倒すと、オルテガを生き返らせアリアハンの我が家へ帰らせることも可能になりました。隣のクラスの彼も、きっと涙したことと思います。
(マグミクス編集部)

