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超人・鳥山明のすごすぎる伝説4つ 勝手にやめられなくなった超ヒット作

大人気マンガ『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』を世に放ち、「ドラクエ」シリーズのキャラクターデザインも手がけるなど、その名を世界にとどろかすニッポンの宝・鳥山明先生。ビッグヒット連発の超人・鳥山先生のすごすぎる伝説をご紹介します。

漫画家・鳥山明が生まれた意外な事情

(画像:写真AC)
(画像:写真AC)

 漫画家の鳥山明先生といえば、いわずと知れた大ヒットメーカー。1984年に「週刊少年ジャンプ」で連載スタートした『ドラゴンボール』(以下、DB)は、単行本発行部数が世界累計2億6000万部以上という驚異的な数字を記録し、連載終了から26年経つ今も世界中に熱狂的なファンを持っています。

 デザイナーとしては、「ドラクエ」シリーズのキャラクターデザインを手がけた鳥山先生。「鳥山キャラ」がなければ「ドラクエ」シリーズはここまでのビッグゲームにはならなかったのではと思えるほどに、世界観を決定づけました。この記事ではそんな超人・鳥山明先生のすごすぎる伝説をご紹介します。

●神様も絶賛の圧倒的画力

 鳥山作品の魅力といえば、まずはなんといっても絵のうまさがあげられるでしょう。その画力は、プロたちの目からもズバ抜けていると評価されています。「マンガの神様」と呼ばれる手塚治虫先生も「鳥山明にはかなわんです」と語り、「ぼくの後継者」とまで呼んだとも言われています。

 そんな鳥山先生ですから、さぞかし子供の頃からコツコツとマンガを描いてきたのかと思いきや、なんと初めてマンガを描いたのは23歳の時だったというから驚きです。しかもマンガ自体、子供の頃読んではいたものの、中学生くらいから大人になるまではずっと遠ざかっていたのだとか。漫画家ではなくイラストレーター志望で、高校卒業後はデザイン会社に勤めたという鳥山先生。では、その圧倒的な画力はどこで培われたのでしょう。

「週刊少年ジャンプ」で伝説のマンガ編集者と称された鳥嶋和彦氏は「基本的な絵の勉強をマンガではなくデザイン画などから学んでいるため、バランス感覚が優れている」と分析しています。マンガひと筋ではなかった体験こそが、画力に一役買っているようです。

●金欠が生んだ「漫画家・鳥山明」

 鳥山先生が漫画家になったきっかけは、なんと金欠。デザイン会社を辞めて収入がなかった時、たまたま「週刊少年マガジン」の新人漫画家募集を知り、賞金50万ほしさに人生初のストーリーマンガを描きはじめたのだそうです。小さい頃の記憶をたよりに「マンガってこんなかんじかなぁ」と描いたという作品は残念ながら締切りに間に合わなかったものの、せっかく描いたのだからと賞金10万円で毎週マンガを募集していた「週刊少年ジャンプ」に応募。結局その時は落選しましたが、賞をとるまで描いてみようと意地になったのが、漫画家・鳥山明の始まりなのだそうです。

 それから約3年で『Dr.スランプ』の連載がスタート。アニメ化もされ、「んちゃ!」「ばいちゃ!」などの「アラレ語」が流行するなど社会現象にまでなりました。スロースターターながら人気作家までのスピードはマッハの勢いだったのです。

 ちなみに初期の『Dr.スランプ』カラー絵などに見られる独特の色使いも鳥山作品の人気を後押ししましたが、実はあれも金欠ゆえの発明。何色ものカラーインクを買う余裕がなかったため、24色セットの安いサインペンを買い、水で溶いた液を塗っていたのだそうです。

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