世界が明るいほど闇が深くなる…? 鳥山明作品に垣間見るドライでシビアな「視線」
鳥山明先生といえば『ドラゴンボール』の超人バトルや『Dr.スランプ』の明るいギャグのイメージで知られていますが、実はそれだけではありません。鳥山ワールドに隠されたメッセージについて見ていきます。
明るくパワフルな鳥山ワールドの影にあるもの

『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などの作品で世界的に有名な鳥山明先生。おおらかなギャグや緻密なメカ描写、そして何より派手なバトル演出が目立ちますが、その裏には世界に対するドライでシビアな視線が感じられます。
鳥山明先生の作品の根底に横たわる、言ってしまえば「諦念」のようなものについて振り返りましょう。
●このおろかな星はもうだめじゃ 『Dr.スランプ』
1980年に集英社「週刊少年ジャンプ」にて連載が始まった『Dr.スランプ』は、のどかなペンギン村を舞台に、自称天才科学者「則巻千兵衛(のりまきせんべい)」と、彼が作った少女型ロボット「則巻アラレ(のりまきあられ)」、なんでも食べる「ガッチャン」たちがさまざまな事件を巻き起こすギャグマンガです。
基本的には一話完結型のギャグマンガなので、時間停止のしすぎで千兵衛が老人になってしまったり、アラレちゃんのパンチで地球が割れたりしても次のエピソードでは元通り、本当に深刻なイベントは何ひとつ起きません。天真爛漫で怪力のアラレちゃんは今でも根強い人気を誇ります。
そんなおおらかな世界観の『Dr.スランプ』ですが、明るさの裏にはある種の諦念が垣間見えます。コミックス8巻に収録されている「ガッチャンの正体!!の巻」から3話続いたエピソードでは、世界の創造主である神がペンギン村に降り立ちました。神はガッチャンを見つけてこう言います。
「このおろかな星はもうだめじゃ。おまえたちの数をもっとふやし、たべつくしてしまえ! よいな」
「罪のない人間たちや動物たちには気のどくだが、やむをえんことだ」
実はガッチャンの正体は天使で、送り込まれた星に危険な文明が栄えた時に食べ尽くす使命が与えられていたのです。
悪人などいないかのように見えた『Dr.スランプ』の世界は、滅ぼすに値するほどダメになっているようです。どんなに深刻な問題が起きてもなかったことになるギャグマンガの世界でこの展開ですから、驚かされた人は多いのではないでしょうか。
しかしその後、神は地球を滅ぼすのをやめます。アラレちゃんたちと遊びながら楽しそうに笑っているガッチャンの姿を目にしたからです。決して人類が思ったほど悪くなかったと判断したわけではありません。
「ま、いいじゃろう」「どうせほっておいてもこの星はほろびてしまう このままいけばな」という、かすかな希望と乾いた諦念によって滅亡を先延ばしにされただけに過ぎないのです。
ウンチを棒で突っついたり、喫茶店のウェイトレスのパンツを覗こうと必死に努力するような愉快な毎日を送るギャグマンガに「そんな毎日も長くは続かないのだ」というメッセージを読み取れるエピソードが3話にわたって掲載されたのですから、鳥山先生はかなり強い問題意識を持っていたのでしょう。
そして、人類は愚かなのでやがて取り返しのつかないことをしでかしてしまう、世界は滅びに向かっているという世界観は、その後の作品からも読み取れます。