『チェンソーマン』は“チェンソーの悪魔”ではなかった? 完結で深まる、ポチタの本当の正体とは
ついに完結を迎えた『チェンソーマン』。SNSでは感想が飛び交う一方、多くの読者の胸に残り続けている問いがあります。なぜポチタは、食べた悪魔の概念を消し去ることができたのでしょうか?
最終回での単語に「違和感」

ついに最終回を迎えた『チェンソーマン』。「デンジ」と「アサ」の青春や悪魔たち、「ポチタ(チェンソーマン)」をめぐる数々の争いの物語の結末は意外なものでした。
※この記事には『チェンソーマン』終盤の内容に触れています。ネタバレにご注意ください。
SNS上ではすでにさまざまな感想が飛び交っており、作品を取り巻く環境と合わせて、原作者である藤本タツキ先生が「見たい夢は全部見た」末のエンディングだったのではないか、という声も見られます。
しかし、ここではあえてまったく別の方向から考えてみたいと思います。最後まで語られることのなかった、読者が気にしていた「あの謎」です。
●チェンソーマンの正体とは?
本作最大の謎は、やはり「チェンソーマンとは何者だったのか」という点でしょう。作中でポチタは長らくチェンソーという具体的な道具と結びついた悪魔のように見えていました。
しかし物語が進んでいくにつれて、悪魔を食べることでその存在ごと消してしまうという力が明らかになります。これはどう考えても「チェンソー」という道具から連想する機能だけでは説明しきれません。
しかも最終回でデンジはそれを「こないだはオノだったから~」「じゃチェーンソーで」と発言しました。これは単なる表記揺れやケアレスミスなどではなく「チェンソー」と「チェーンソー」という言葉を藤本先生が意図的に区別して描いた結果ではないでしょうか。木材の伐採に使う道具とポチタは形が似ているだけで、実は無関係という可能性が浮かび上がります。
そう考えると「回転する」や「食べたものを存在ごと消す」というポチタの特徴は、まさに最終回の展開にうってつけです。黒いチェンソーマンの暴力的なシルエットや圧倒的な戦闘力は本質を隠すミスリードのようにも思えます。
むしろポチタは「激しく回転する刃で何かを切る悪魔」というより「存在をなかったことにしてしまう力」そのものを体現した存在だったのかもしれません。そう考えると、「無」や「リセット」に近いイメージを重ねたくもなります。
これまでに登場した悪魔は概念や自然現象を含めてすべて「存在」する悪魔でした。刀、血液、爆弾、重力、闇、支配、そして死すらも「ある」のです。「存在するもの」として生まれた他の悪魔たちの対極にあるからこそ、ポチタは地獄で恐れられ、孤独だったのではないでしょうか。
●考察という「答え合わせ」を超えて
もちろん、これはひとつの解釈です。作中で設定の答えがはっきり示されていない以上、「これが正解だ」と言い切ることはできません。ただ、考察とは本来、作者が用意した答え合わせをするだけのものではないはずです。作品のなかに残された違和感や余白から、そこにどんな意味が宿っていたのかを考えることでもあります。
『チェンソーマン』は非常に多面的な作品です。ある人は『チェンソーマン』にスプラッタ映画的なバイオレンスや元ネタを、ある人はデンジという青年の成長を。またある人は作者の性癖や思想を見出します。さまざまな読み方ができるのが、名作の条件のひとつだと言えます。
チェンソーマンとは何者だったのか。なぜポチタだけが悪魔を消せたのか。その答えは最後まで与えられませんでした。そしてこのまま第3部が始まるのか、それとも本当にここで幕を下ろすのかも、まだわかりません。
しかしチェンソーマンとは何者だったのかという問いは、完結後も読者のなかに残り続けるはずです。そう思わせる「余白」こそが、本作の大きな魅力なのかもしれません。
(レトロ@長谷部 耕平)

