『ドラクエ4コマ』で活躍、浅野りん先生インタビュー 『であいもん』誕生の理由
『ドラクエ4コマ』は人で言うなら「恩人」
ーーご自身のネタで、印象に残っているものは?
やっぱりプロとして最初に描いた「バージン・ロード」です。この4コマがスタートになるのかと色々思いを乗せた覚えがあります。ゲーム中ではビアンカとフローラを選べず、何とかして町の外に出られないかと数時間ウロウロして断腸の思いでビアンカにした思い出のイベントなので、すごく印象強かったんですよね。1ページを使って大きなコマで主人公とビアンカを描けたのが、めちゃくちゃ楽しかった。今読むと「なんでこれがオチとして成立してんだろ」と思うんですけど。
ーー今はTwitterなどで交流ができますが、当時はファンレターしか連絡手段がありませんでした。読者からのファンレターで印象に残っているものは?
当時は「ガンガン」での活動も並行していたので、ストーリーマンガも4コマも両方読んでくださっていた方が多かったです。なかでも「4コマクラブから読んでます、ファンです!」と言ってくださる方がいて驚いていました。ありがたかったです。今もTwitterで、そう声をかけてくださる方がたくさんいて本当にうれしいです。
ーー『ドラクエ4コマ』『ドラゴンクエスト 天空物語』を手掛けた幸宮チノ先生と当時から仲が良いそうですが、出会ったきっかけは?
編集さんを通じて連絡を取り合ったのが最初ですね。チノがすごくフレンドリーに話しかけてくれたので、同年代なのもあって打ち解けるのが早かったです。携帯が普及してない頃だったので、自宅の固定電話で夜中まで話して請求額で親に叱られたことがありました。チノも私も、お互い母親に叱られていました。私が京都、チノが当時は大阪に住んでいて、比較的近い場所だったのも幸いしたんだと思います。
ーー浅野りん先生にとって、『ドラクエ4コマ』はどのような存在でしょうか?
『ドラクエ』の世界に浸れる最高の娯楽です。『4コマクラブ』の掲載がなかったら、漫画家になる自信もついてなかった。人で言うなら恩人です。