『ラグナロクオンライン』 引きこもりだった私に、人とのつながりを与えてくれた存在
韓国・グラヴィティ社のMMORPG『ラグナロクオンライン』は2002年に運営を開始。2020年で稼働18年目を迎えます。ゲーム中で知り合った仲間と、今でも交流がある筆者が当時の思い出を語ります。
社会との接点になってくれた『RO』
2002年に運営が開始された韓国・グラヴィティ社のMMORPG『ラグナロクオンライン』(以下、RO)は2020年で稼働18年目を迎え、数あるネットゲームのなかでもまれにみるロングラン作品となりました。ゲーム内でのコミュニケーションやギルドVSギルドの砦争奪戦(以下、GvG)など、多くの人にネットゲームの面白さを教えてくれたタイトルでした。β2からプレイを初め、GvGにも参加し指揮官として砦を取った経験を持つライターの早川清一朗さんが、当時の記憶を語ります。
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体調を崩し仕事を辞めて引きこもっていたころ、ふと目にとまったのが『ラグナロクオンライン』のβ2テストが無料でプレイできるというニュースでした。就職活動はしていましたが当時は極めて景気が悪く、思うようにいかず暇を持て余していたこともあり、「タダで遊べるのならいいか」と気軽に始めたのが、その後数年にわたる廃人生活の始まりとなったのです。
最初の頃はシーフでプロンテラ近辺のポリンを狩り、それからファブルを狩っていたのですが、あるとき急に遠出をしたくなり、プロンテラを北上して赤芋虫ことアルギオペに瞬殺されたことを思い出します。当初は向こうから攻撃してくるアクティブモンスターの存在すら知らなかったのです。
それからは、情報をきちんとネットで集めて狩りをするようになりました。この時期はちょうどインターネットの定額高速回線が一般に普及した時代だったため、ゲームの情報がネットに続々と公開されるようになっていた時期でした。『RO』も実装されている装備やモンスター、マップのさまざまな情報を掲載しているサイトが誕生し、日夜更新されていたのです。その中でも特に驚かされたのが、膨大なアイテム相場情報でした。
多くの人が集まる場所には商売が存在し、商品の相場が存在する。知識としては知っていましたが、リアルに体験したのは『RO』のなかが初めてでした。空き瓶が売れるとなればポリンを狩り、鉄や石炭の需要があるとなれば炭鉱でスケルトンワーカーを狩る。もしカードでも出れば儲けものです。出現するアイテムの相場を考えてプレイしたゲームは、『RO』が初めてでした。