ガンプラブームの裏にある「ロボットプラモ戦国時代」 意外な形で「時代を変えていた」?
タカラが参入し競争激化、そして生まれた意外な「変化」とは?

ガンプラ最大のライバルとなったのが、「タカラ(現・タカラトミー)」がプラモ化した『太陽の牙ダグラム』(1981年)です。アニメ制作は『ガンダム』と同じく「日本サンライズ(現・サンライズ)」でした。
ここで特筆するのは、本来タカラは玩具メーカーであって模型メーカーでない点でしょうか。つまりガンプラブームに対抗するべく、プラモ業界に参入したわけです。ちなみにこの当時のバンダイグループは、模型はバンダイでしたがオモチャは「ポピー」という別会社でした。
プラモのノウハウがほとんどなかったタカラは、模型メーカーである「ニットー(日東科学教材)」の協力のもと、シリーズを展開していきます。そしてガンプラと違うアプローチとして、「国際スケール」と呼ばれる1/72と1/48というサイズでラインナップを始めました。
後発として意欲的だったタカラは、ガンプラにはなかったふたつの新しいことにチャレンジしました。ひとつはバンダイのプラモ情報誌が既存の小冊子である「模型情報」だったのに対して、書店で扱える模型雑誌「デュアルマガジン」を創刊したことです。
もうひとつは「カバヤ食品」から発売されていた「ビッグワンガム」の系列商品として、食玩の「ダグラムガム」を販売したことでした。ガムのオマケとして軟質プラスチック製の組み立てキットが入った商品は、当時としては画期的なものです。
こうしたバンダイとタカラの激しい競争が、ガンプラブームを活気づけたといって過言ではありません。そして、この競争がさらなるニューウェーブを呼びます。それが『超時空要塞マクロス』(1982年)でした。
『マクロス』は、イマイとアリイが共同でプラモを展開することになります。ちなみにオモチャは「タカトクトイス」からの発売でした。この時期からメーカーも自社オリジナルロボットから、アニメ作品のロボットをプラモ化するという流れが始まります。そういった点で、この時期からロボットプラモ乱立期が始まったといえるかもしれません。
『マクロス』のプラモは放送日前から発売するという熱の入れようでした。さらに「日本模型(ニチモ)」もイマイとアリイとは別のラインとなるマクロススタンプやピタバンシリーズで中途参入するなど、これまで蚊帳(かや)の外だったメーカーが勢力争いに加わったといえるでしょう。
もっとも、この『マクロス』の登場は別の波を呼ぶことになります。それが『マクロス』の主力商品となる「VF1 バルキリー」でした。ご存じの人も多いと思いますが、バルキリーはそれまでの変形ロボにない画期的な変形システムを持っています。
これまでの合体変形ロボといえば、ほとんどロボット形態がメインでした。ところがバルキリーは飛行形態、中間形態のガウォーク、ロボット形態のバトロイドと、それぞれが劇中で見せ場があり、どの形態も魅力的だったわけです。こうなると従来のロボ形態だけでなく他の形態も欲しくなり、ユーザーとしては変形する商品を望むことになりました。
しかし、複雑な変形機構を持ったバルキリーを完全変形させることは、強度の面からプラモでは再現不可能です。当時の商品として完全変形できたのは、タカトクで販売したオモチャだけでした。
こういった流れから「オモチャは子供のもの」という概念が打ち壊され、アニメファンのヤングアダルトといった層から高評価を得ることになります。この少し前まではヤングアダルトの受け皿となっていたのがガンプラでした。つまりガンプラから始まったロボットアニメプラモブームは、末期にはオモチャへと先祖返りすることになったわけです。
本来は子供のオモチャとされていたものが、ヤングアダルトが購入してもよいという雰囲気になったといえるのかもしれません。そういった意味で、ガンプラブームが生み出した大きなムーブメントは、玩具業界自体を大きく変えたといえるでしょう。
(加々美利治)




