『おおかみこどもの雨と雪』主人公は“ダメな母”だったのか? 一部で物議を醸した毒親論争
2025年11月7日の「金曜ロードショー」にて、細田守監督の代表作『おおかみこどもの雨と雪』が放送されます。主人公の「花」といえば、ふたりのおおかみこどもを女手ひとつで育てあげた「立派な母親」という印象が強いですが、一部の視聴者の間では「ダメな母親」とする声もあるようです。なぜなのでしょうか?
花は立派な母親? それともダメな母親?

細田守監督の代表作として知られる『おおかみこどもの雨と雪』は、人間とおおかみの間に生まれた「おおかみこども」を育てる主人公「花(CV:宮崎あおい)」の奮闘を描いた感動作です。
母親として懸命に生きる彼女の姿に胸を打たれた人が多い一方で、ごく一部の視聴者からは「ダメ母すぎる」「毒親にしか見えない」といった声もあがっています。なぜ彼女に対して、このような否定的な意見が出たのでしょうか?
もともと花は、都会の片隅でおおかみおとこの「彼(CV:大沢たかお)」と、ふたりの間に生まれた「雪(CV:大野百花/黒木華)」と「雨(CV:加部亜門/西井幸人)」の4人で暮らしていました。しかしおおかみおとこの死によって突然シングルマザーとなり、女手ひとつで子供たちを育てていくことになります。
おおかみの血を引く「雪」と「雨」は、人間とおおかみ、ふたつの顔を持つ存在です。ふたりが将来どちらの道を選んでも生きていけるようにと、花は都会を離れ、豊かな自然に囲まれた田舎町へ移り住むことを決意しました。
夫を失い、頼れる人もいないなかで、おおかみこどもを育てなくてはならなくなった花。それだけでも相当な苦労ですが、彼女は生活の基盤を整えるために、その細い腕で古びた一軒家を改修し、荒れた土地を耕して自給自足の暮らしを築いていきます。もはやここまでくると花がいちばん人間離れしているようにも思えますが、そのパワフルさと奮闘ぶりこそ本作の魅力であり、多くの人に「花=立派な母親」と印象付けた理由のひとつでもありました。
では「ダメ母」説、「毒親」説を唱える人は、花のどこに問題があると感じたのでしょうか? 冷静に物語を見直してみると、確かに花には母親として至らない部分も見受けられます。
雪がクラスメイトの草平を怪我させたとき、花は「謝りなさい」と叱るだけで、事情を聞こうとはしませんでした。おおかみこどもであることが周囲に知られるのを恐れるあまり、定期健診や予防接種を受けさせなかった判断にも、母親としてのエゴを感じた人がいたようです。
さらによく指摘されるのが、弟の「雨」ばかりをかわいがっているように見える点です。雨が川でおぼれた際、必死で助けた雪には目もくれず、花は雨のことばかり心配していました。
また物語の終盤、雨がおおかみとして生きる道を選ぶ場面でも、学校で迎えを待つ雪を放置して、花は迷わず雨を追いかけます。こうした描写から「雪がかわいそう」「雪を放置しすぎ」といった声が寄せられ、「母親は娘よりも息子をかわいがる傾向にある」という意見に共感する人も多く見受けられました。
とはいえ、これらは「ダメ母」の烙印を押すほど極端なシーンだったのでしょうか。まず川で溺れたときに花が雨ばかりを心配していたのも、一歩間違えれば命に関わる状況だったからです。終盤で学校に雪を残し、山へ入って雨を追ったのも、まだ10歳の息子が「おおかみとして生きる」と言い出した以上、母親として心配せずにはいられなかったでしょう。
さらにもっといえば、花は手作りのワンピースを贈るなど、雪に対してもきちんと愛情を注いでいました。雨がおぼれた場面でも最終的にふたりを抱きしめており、その姿からは、決してどちらかを特別扱いしていたわけではないことがうかがえます。
そもそも子育てを完璧にこなすこと自体、容易な話ではありません。ましてや花が挑んでいたのは、おおかみこどもの育児です。一般的な子育ての正解が当てはまるわけがないのです。
それでも花が人として、母親として少しずつ成長していく姿は、物語を通して十分に感じられます。『おおかみこどもの雨と雪』は、子供たちの成長を描くと同時に、花自身の成長譚でもあるでしょう。
2025年11月7日の『金曜ロードショー』で同作が放送される際は、花の行動の意図に着目してみるのも面白いかもしれません。
※宮崎あおいの「崎」は、正しくは「たつさき」
(ハララ書房)
