初代ゲーム版のピカチュウは「影が薄い」? 製作者が語る意外すぎる理由
初代ポケモンにおける「ピカチュウ」はどんな扱いだった? 世間の扱い方とのずれには、納得の「理由」が隠されていました。
ゲーム版ではむしろ影が薄い? いや、あえて影を薄くしていたんです

ポケモンバトルの世界大会である「ポケモンワールドチャンピオンシップス」が2023年夏、横浜で開催されます。アジアで開催されるのはこの大会が初であり、それに先駆けて8月8日から横浜・みなとみらい21地区周辺でさまざまなポケモン関連のイベントも予定されています。
今や世界規模の人気を誇る『ポケットモンスター』ですが、その代名詞といえばなんといっても「ピカチュウ」です。7月29日の隅田川花火大会でも「ピカチュウ花火」が打ち上げられ、話題を集めたのは記憶に新しいところでしょう。
このピカチュウ人気に火をつけたのは、なんといってもサトシが主人公のアニメ版です。他のポケモンたちはモンスターボールのなかで待機しているのに対して、ピカチュウだけは常に自由行動OKの特別待遇で、画面に映っている時間も多く、これを機に一気に全国的なキャラクターへと成長したのです。
そんなピカチュウは、ゲームではどんなポジションのポケモンだったのでしょうか。改めて1996年に発売された初代『ポケットモンスター 赤・緑』における、ピカチュウの扱われ方を振り返ります。
例えばオープニング映像です。ここではニドリーノと手持ちのポケモン(この正体は諸説あります)が、格闘するシーンが流れますが、ピカチュウはいません。さらに続けてオーキド博士がポケモンの世界観を説明しますが、そこにもピカチュウは出てきませんでした。プレイヤーが初めてピカチュウと出会うことができるのは、しばらく進んだ先の「トキワの森」です。
ただし、出現率は極めて低く設定されており、出現すること自体知らなかった人も多いのではないでしょうか。野生のピカチュウを手軽に捕まえるならば、伝説のポケモン「サンダー」が奥に潜んでいる「無人発電所」までたどり着く必要がありました。
ではイベントで出会うことは可能だったのでしょうか。例えばクチバシティのジムリーダー・マチスは、ピカチュウを手持ちに入れています。また同ジム内にいるトレーナーも3人中ふたりはピカチュウを繰り出してきます。とはいえコイルやビリリダマと比べると、多少ながら登場回数が多い程度でした。
また愛くるしさではピカチュウに勝るとも劣らないポケモン「イーブイ」はというと、野生では登場せず、ゲーム中は1体しか手に入れることができない超貴重ポケモンでした。そう考えると、ピカチュウは野生で登場する時点でどちらかといえば「普通寄り」の扱いであったことが分かります。やはりピカチュウの人気に火がついたのは「アニメ版」からであり、ゲームの制作陣営はそこまで肩入れしていなかったのでしょうか。
しかし、これが、真逆です。
先ほどトキワの森でのピカチュウの出現率の低さについて触れましたが、その背景には圧倒的な「ピカチュウ愛」がありました。というのも開発者のひとり、西野弘二氏はピカチュウを溺愛するあまり「他の人にはなるべく触らせたくない」という不思議な独占欲求が働き、結果として出現率を異様に低く設定してしまったのです(読売新聞オンラインでのインタビューより)。
もちろんピカチュウを愛したのは西野さんだけではありません。開発時に、一部のポケモンを振るい落とすために行われた社内での人気アンケートにおいても、ピカチュウはダントツの1位だったそうです。
アニメ版で一気に人気に火がついたのは事実ですが、やはりピカチュウは『ポケモン』の世界において最初から特別な存在でした。
(片野)