「パクリ」はどこからが問題になる? ゲーム業界における「創作の自由性」と「知的財産」のあり方
権利問題だけでは済まない、ユーザーの心理

●「ジャンル」は比較的問題になりにくい
権利関係に関わる「パクリ疑惑」は、その真偽も含め、示談や提訴によって決着がつきます。ですが、そうした「法的な判断と結論」には至らない、いわゆる「グレーゾーン」な問題も少なからずあります。
ユーザーレベルの話題でよく上がるのは、ゲーム性の模倣です。例えば、ハンティングアクションの祖と言われている『モンスターハンター』がヒットすると、ゲーム開始直後からボス級の敵と対峙し、広大なフィールドを行き交いながら戦うようなゲームがいくつも登場しました。これを指して、一部のユーザーが「パクリでは?」と指摘することもあります。
ですがゲーム業界では、作品の構造などが細かく類似していない限り、システムやジャンルが似通っていても、問題視するよりは許容される場合がほとんど。というのも、素晴らしい作品の魅力を理解し、その要素を昇華させた新たな作品が登場することで、そのジャンルが発展してきたためです。
例えば、「死ぬと貯めていた経験値兼通貨を全て失うが、次のプレイに限り回収できる可能性がある」というデスペナルティは、今や多くの作品に採用されており、この点だけを抜き出して「パクリだ」と指摘する人はほとんどいません。
このほかにも、『ポケモン』の大ヒットに影響され、モンスターを仲間にするゲームがいくつも後に続きましたが、その要素に独自の魅力を備えたものだけが評価されました。この自然淘汰こそが、安易な模倣と昇華した作品の違いでしょう。
ちなみに『ポケモン』も、「モンスターを仲間にするゲーム」の元祖ではありません。『ポケモン』もまた、その要素を昇華して進化させたからこそ、ヒット作となったのです。
●受け手の感情にも影響し、敏感になりがちな「デザイン」の類似
ジャンルやシステムは(程度こそあれ)許容されやすい一方、ユーザー同士でも意見が分かれるのが「デザインの模倣」です。デザインも模倣を通して磨かれる側面はありますが、キャラクターにグラフィック、UIなどのデザインで独自性を出すには、努力やセンスが欠かせません。しかし、視覚的なものは比較的真似をしやすいので、質を求めないのであれば、本来ならば苦労する過程を「パクリ」である程度簡略化できます。
デザイン性は、クリエイター個人、もしくは開発チームが築き上げたもの。時間と労力をかけて切磋琢磨したそれは、個人やその作品の「個性」と言い換えてもいいほどです。だからこそ、ただ模倣しただけに見える安易なデザインを目の当たりにした時、許容できずに「パクリでは?」と感じてしまいがちです。
安易な模倣によるデザインは、受け手の感情をマイナス方向に傾けやすく、ストレートに「不愉快」「カンに触る」といった感情を呼び起こします。プレイ体験にも大きく影響するため、模倣に敏感になるのも無理のない話です。同時に、感情・感覚の話になるので、線引きがことさら難しくなります。
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何でもかんでも「パクリ」と断じるのは、創作の自由性にも影響しかねません。誰かが生み出したゲームシステムが「ジャンル」となって定着することもあり、それが共有の財産として扱われる場合もあります。
かといって、どんなものであっても認め、異論を全て否定するのも行き過ぎでしょう。ゲーム性であれデザインであれ、安易な模倣はやはり問題です。線引きが難しいからこそ、一度立ち止まって考える行為は受け手としても心がけておきたいもの。
意見の異なる相手をねじ伏せるのではなく、「なぜ自分がそう感じるのか」を言語化し、「意見が違う人はどんな考えなのか」と聞く耳を持ち、何が問題なのかと意見を交換することが、「安易なパクリ」を生み出しにくくする土壌となることでしょう。もちろん、その時に暴言を吐いたり、誹謗中傷をするのは論外です。
(臥待)



