『ベルサイユのばら』の裏で勃発した「香水バトル」。宮殿はケモノ臭に満ちていた…?
豪華絢爛なベルサイユ宮殿は、実はケモノ臭に満ちていました。そこに香りの革命を起こしたのが、悲劇の王妃マリー・アントワネット。マンガ『ベルサイユのばら』の裏側で勃発していた、ベルサイユ宮殿の香水バトルについてご紹介します。
「王太子妃VS王の愛人」のバトルが焦点に

昨年、瑛人さんの「香水」がヒットし、初めて、あるいは改めて香水を手に取った方も多かったのではないでしょうか? 名作マンガ『ベルサイユのばら』の舞台、ベルサイユ宮殿では、この香水をめぐって、「女の戦い」が勃発していました。バトルの主役は、悲劇の女王マリー・アントワネットとルイ15世の愛人デュ・バリー夫人です。
実は「ニオイ」が問題化していた歴史上のベルサイユ宮殿に、どのような香りの革命が起こったのか、ふたりの「女の戦い」から見ていきましょう。
マリー・アントワネットがフランスの王太子ルイ16世のもとに嫁いだのは1770年、彼女が14歳のときのことです。可憐で美しい、魅力的な少女は、たちまち貴族はもとより国民たちの心もとらえたのでした。
そんなマリー・アントワネットとデュ・バリー夫人の「女の戦い」の第1ラウンドは、マンガにも描かれている「お声がけバトル」です。
当時、ベルサイユでは、公式の場で身分の低い婦人から、自分よりも身分の高い婦人に声をかけることは許されていませんでした。王妃がすでに亡くなっていたため、女性の最高位は王太子妃であるマリー・アントワネットであり、みんな、彼女から声を掛けられるのをただじっと待つしかありませんでした。
マンガ『ベルサイユのばら』の作中では、宮廷での王太子妃お披露目のパーティで人びとが注目するなか、マリー・アントワネットは男装の麗人オスカルに最初に声をかけ、デュ・バリー夫人が元娼婦であることを知ると嫌悪感をあらわにし、徹底的に彼女を無視し続けたのです。
しかしそのことが国王ルイ15世の怒りを買い、フランスとオーストリアの同盟をもおびやかす大問題に発展。マリー・アントワネットは渋々、母マリアテレジアの忠告に従い、ついにデュ・バリー伯爵夫人に声をかけました。「きょうは、ベルサイユはたいへんな人ですこと。」と。こうして、女の戦いの第1ラウンドは、デュ・バリー伯爵夫人の勝利となりました。
史実でも、マリー・アントワネットは娼婦や愛妾を嫌い、デュ・バリー伯爵夫人の出自の悪さや存在を徹底的に憎んでいたと言われています。
第2ラウンドは、マンガには描かれていない、『ベルばら』の舞台裏で起こった香水バトルです。