マグミクス | manga * anime * game

3月9日は「ザクの日」 やられメカなのに、ガンダムの「宿敵」として活躍できたワケ

ガンダムの敵役として有名な「ザク」。量産型のやられメカだったはずが、いつの間にか主役であるガンダムと対になる存在になりました。やられメカだったザクがファンから愛されることになったのはなぜでしょうか?

期待されなかった「ザク」が出世できた理由は?

「ザクII」は、『機動戦士ガンダム』作中でも活躍が多く描かれたMSのひとつ。画像は「HGUC 1/144 MS-06 量産型ザク (機動戦士ガンダム)」(BANDAI SPIRITS)
「ザクII」は、『機動戦士ガンダム』作中でも活躍が多く描かれたMSのひとつ。画像は「HGUC 1/144 MS-06 量産型ザク (機動戦士ガンダム)」(BANDAI SPIRITS)

 いつからか3月9日は、数字の語呂合わせで「ザクの日」と呼ばれています。やられメカとして最弱というイメージのあるザクですが、その生い立ちには歴史あり。リアルな現実世界での歩みと、ガンダム作品における宇宙世紀での設定の両面から、ザクについて紐解いてみましょう。

 みなさんご存じの通り、ザクは『機動戦士ガンダム』に登場した敵側の人型兵器。劇中ではMS(モビルスーツ)と呼ばれる存在です。当時のロボットアニメでは珍しい「量産」された機体で、劇中では何体ものザクが登場していました。

 また、ライバルであるシャア・アズナブルの乗るザクは赤色に塗られた特別仕様で、この点も従来までのロボットアニメにはなかった設定です。なぜ赤かというと、当時のスタジオでもっとも残っていた塗料だったと言われていました。

 この「ザク」という名前の名付け親は富野由悠季監督で、「雑魚」と靴音の「ザクッザクッ」から取ったと言われています。作中では後述する「MS-05 ザク」もザクと呼ばれていますが、設定書では「旧ザク」となっていました。

 やがて『機動戦士ガンダム』劇場版第1作の際にザクの型式番号を正式に「MS-06」とし、1981年9月発行の「ガンダムセンチュリー」で「旧ザク」を「MS-05 ザクI」、通常型の「ザク」を「MS-06 ザクII」と記載され区別されるようになります。

 もっとも当時はまだ、こういった区別は一定の年齢以上に浸透しただけで、小学生程度の子供はザクと旧ザクといった区分が普通でした。「ザクI」、「ザクII」というような区分が浸透するのは、『機動戦士ガンダムZZ』で「AMX-011 ザクIII」が登場したあたりからです。

 このザクのデザインは、言わずと知れたメカニックデザイナーの大河原邦男さん。主役機などのオモチャになるデザインではスポンサーなど複数の意見を取り入れなければいけないため、自分の自由にできないデザインになりますが、敵側のやられメカということもあって、ザクは自由にデザインできたそうです。

 ザクより後にデザインしたMSは作画監督の安彦良和さんの手が入り、富野監督の指示とデザインが描かれた通称「トミノメモ」に従うなど、やはり大河原さんが自由にデザインできない事情がありました。そう考えると、ザクだけが『ガンダム』のなかで大河原さんが自由にデザインできたメカだったかもしれません。

 そして『ガンダム』は大ヒットとなり、「ガンプラ」という立体物が販売されたことでザクが注目されることになります。その理由は、ザクが「量産型」であること。作中でシャアが専用カラーで乗っていたことで、ガンプラの作り手が「自分用のカスタマイズ機が想像できること」が大きかったのではないでしょうか? 主役機は主人公のものですが、量産型ならいくらでもあるがゆえに、想像の幅は無限大ということです。

 この点が、ガンプラブームに再度火をつけた『MSV』でさらに広がります。アニメ本編に出てこないジョニー・ライデンやシン・マツナガの登場は、自分もエースパイロットになれるという妄想をふくらませ、それがガンプラの改造など、アニメ本編とはまた違った遊び方を提供しました。

 そういう点では、ザクの存在は現在のようなガンダムのコンテンツ化に大きく貢献してるといっても過言ではないと思います。

1 2 3