陰の主役? 『MASTERキートン』の動物たちがキーとなるエピソード 猛獣の名前が暗号に…
浦沢直樹先生の『MASTERキートン』は、ミステリー、サバイバル、考古学などさまざまなジャンルのファンを楽しませてくれる傑作ですが、もうひとつの大きなキーワードが「動物」です。数多くのエピソードで動物たちが重要な役目を果たし、『MASTERキートン』の世界観を紡ぎ出しています。
飄々としていながらスゴ腕のキートン。軍用犬との戦いでも……

2022年5月30日に、浦沢直樹先生の『MASTERキートン』(脚本/勝鹿北星・長崎尚志・浦沢直樹)の待望の電子書籍配信が始まりました。連載開始から30年以上経った今も色あせない、浦沢作品の代表作です。これを機に初めて、または改めて読もうとしている方も多いのではないでしょうか?
『MASTERキートン』にはミステリー、サスペンス、考古学、人情、サバイバルなど、多岐にわたる魅力が詰まっています。というのも日英ハーフの主人公、平賀・キートン・太一は、名門オックスフォード大学を卒業した考古学者であり、イギリス陸軍SAS(特殊空挺部隊)でサバイバル教官まで努めた元軍人であり、ロイズ保険組合のオプ(調査員)として探偵業も行っている人物なのですから。
キートンの世界中で繰り広げられる冒険物語は、それぞれ短編ながら、まるで良質な映画を観たかのような読後感を味わわせてくれます。
そんな『MASTERキートン』には、動物がキーとなるエピソードが多々あります。実は『キートン動物記』なる番外編も出版されたほど、動物は『MASTERキートン』の陰の主役のような存在なのです。今回は、特に動物たちが印象的だったエピソードをご紹介します。
●事件解決の鍵が軍用犬だった「長く暑い日」
まずはキートンが、保険組合のオプとして関わったケースです。ある男が住むスペイン・ピレネー山地の山荘まで保険金の返却請求に出向いたキートンは「返却されない場合、保険会社は訴訟を起こします」と言い置いて麓の村まで戻りますが……行く先々に一匹のシェパードがついて回り、人気のない道まで来ると急に攻撃してきます。犬は、右手を上げると反射的に伏せることから、軍用犬だと判明。キートンが保険金返却を迫った男が放った刺客だったのです。犬は、最大の武器である銃を奪う、ワナを見抜くなど、高い知能も見せつけます。
キートンは「人間は絶対、訓練された犬にはかなわない!!」と言い、生半可な反撃はせずに、幼い頃に動物学者の父から教わった「ある方法」で命の危機を回避します。結局、軍用犬の存在が山荘の男を逮捕する証拠となりましたが、人間に利用される動物の悲しみも描いたエピソードでした。
サバイバルから癒やしまで……振れ幅の広さも魅力

●動物園のニュースから暗号を読み解く「豹の檻」
1990年9月、イラクによるクエート侵攻が行われていた頃、キートンは東京の大学で講師の職に就こうとしていました。日本のテレビでも盛んにクエート情勢のニュースが流れるなか、英国BBCの動物園に関する小ネタニュースが頻繁に挟まれます。曰わく「ドナウ河近くの動物園では、ライオンがヒョウの檻に入り、出られなくなっています」とのこと。
キートンの父・平賀太平にとっては「なんのこっちゃ」なニュースですが、キートンはすぐに、それが英国政府の暗号か緊急指令だと見抜きます。政府が一大事のときに、世界中にちらばったスタッフを呼び寄せるために放送しているのだと。
キートンは、ライオンは獅子王リチャード1世を、ヒョウはレオポルド5世を指し、かつてリチャードがオーストラリア王・レオポルドに捕らえられてドナウ河畔の城に幽閉された故事になぞらえていると読み解きます。つまり、イギリス王室にとんでもない事件がおこっているハズだということです。
キートンの読み通り、イギリス王室では第7番目の王位継承権を持つノーフォーク公が、学術目的で入ったイラクでフセインに狙われており、世界最高の救出者が必要な状況でした。救出者の条件は「並外れた機知と体力、特殊技術を持ち、軍隊で特殊訓練を積んだ人間」ということで、白羽の矢が立ったのがキートン。女王陛下たっての望みと言われ、大学の職をあきらめてイラクへ向かうこととなります。さて、キートンは無事に「ライオン」を救えるのでしょうか……?
通常は1話完結スタイルの『MASTERキートン』ですが、5話に渡って綴られたこのエピソードでは、キートンのサバイバルのプロとしてのスリリングな活躍も存分に楽しめます。
●動物たちと心がひとつになった「喜びの壁」
キートンがスコットランドの村で、遺跡鑑定を依頼された際のエピソードです。その遺跡とは、修道院廃墟に残る「喜びの壁」。聖フランチェスコが弟子たちのために築いたという触れ込みでしたが、調査の結果はどうやら眉唾です。けれども、キートンはなぜかその壁が気になりました。風も心地よく、波の音も草の匂いもすべてが調和して感じられる、と。
キートンは遺跡の保存運動をしている男に接触します。彼は亡き妻と本当にわかり合えていたのかという答えの出ない問いを抱えており、「喜びの壁」で出会った修道士の言葉を頼りに生きていました。
「人間は他人の心などわかるはずもないが、しかし、人間はこの宇宙よりもずっと広大な宇宙をもっているのだから本当には通じ合っているのかもしれない。真実を知るには奇跡を見るしかない(一部抜粋、要約)」と。
そして修道士が予言した日、キートンは男と、同じく孤独を抱えた少年と一緒に「喜びの壁」でとある奇跡を目にします。しかもそこには、鹿や野ウサギ、小鳥たちといった動物たちも集まり、同じ奇跡を目にしていたのです。人間も動物も隔たりなく、すべてのものが通じ合えた瞬間を、読者もともに味わえるエピソードでした。
『MASTERキートン』にはまだまだ、動物がキーとなるエピソードがたくさんあります。ぜひ、この機会に読んでみてください。
(古屋啓子)