声優・鈴置洋孝氏の命日 『機動戦士ガンダム』ブライトなど多くの印象深い役
野沢那智氏の元で鍛え上げられた
そんな鈴置氏は1973年に野沢那智氏が代表を務めた「劇団薔薇座」で役者としての頭角を現し始めます。しかし劇団薔薇座と言えば別名「ナチ収容所」と呼ばれるほど厳しい世界でした。鈴置氏自身も「厳しすぎる」と野沢氏に直接物申したほどだったそうですが、同時に「あそこで鍛えられた」とも語っており、その後の役者人生の礎を築き上げました。
その野沢氏は、鈴置氏の逝去の際に「芝居は教えたが、命を失ってまで芝居を守れとは教えたくなかった。本当にかわいい弟子だった」とコメントを残しています。鈴置氏は声優業界でも酒好き、たばこ好きで知られており、周囲からもたびたび体調を心配されていたそうです。1990年に倒れた際には『聖闘士星矢』や『ドラゴンボールZ』で共演していた古谷徹氏と堀川りょう氏がお見舞いに来たそうです。
堀川氏は2020年7月に自身のYouTubeチャンネルで鈴置氏との思い出を語っており、四国の方に呼ばれふたりで出向いた際に、帰りの飛行機のチケットがなく困ったエピソードや、一緒にお酒を飲みに行ったときのエピソードなどを明かしてくれています。もう亡くなってから14年が経った今もなお、鈴置氏の身近にいた方が思い出を語ってくださっているのは、生身の鈴置氏がそれだけ印象深い方だったということなのでしょう。56歳という若さでの死が、何よりも惜しまれます。
声優としての活躍が印象深い鈴置氏ですが、1997年には「鈴置洋孝プロデュース」を旗揚げし舞台活動も精力的に行っていました。特に舞台「煙が目にしみる」は鈴置氏の実父の思い出を糸口に練り上げた名作で、今なお数々の劇団がスタンダードな演目として公演を行っています。まだまだこれから数多くの名作を物にしてくださるはずの方でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
(早川清一朗)