『ばけばけ』1話で一気に完成した小泉八雲『怪談』 元ネタはどうやって集められたか、史実を見ると?
朝ドラ『ばけばけ』でついに登場した小泉八雲の代表作『怪談』の元となる話を語った、妻のセツはどうやって原典の話を知ったのでしょう?
実は「のっぺらぼう」が出てこない「むじな」の元ネタ

連続テレビ小説『ばけばけ』24週120話では、ついに「雨清水八雲/レフカダ・ヘブン(演:トミー・バストウ)」が妻「雨清水トキ(演:高石あかり)」の協力を得て、『怪談』を執筆しました。『怪談』はヘブンのモデル、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの代表作です。
ヘブンに頼まれたトキは東京の各地で怪談を収集してまわり、ヘブンに語って聞かせます。ヘブンがそれを文字にして、「耳なし芳一のはなし」「むじな」など、いまでもよく知られる「怪談」の数々を完成させました。
『ばけばけ』では、さまざまな人に取材し、メモを取りながら怪談を聞くトキの姿が描かれています。ハーンの妻、セツは実際にどのように話を知っていったのでしょうか。
『怪談』の最初に収録されているのは、「耳なし芳一のはなし」です。ハーンはこの話がとりわけ気に入っていました。
「耳なし芳一の話」には、原典があります。江戸時代に刊行された怪談・奇談集『臥遊奇談』の「琵琶秘曲泣幽霊」という話です。ハーンが持っていた『臥遊奇談』は、ハーンの蔵書と手書き原稿を集めた富山大学の「ヘルン文庫」に所蔵されています。
「怪談」を執筆したとき、ハーンとセツは東京の西大久保にある家に住んでいました。セツはハーンとの生活を振り返ったエッセイ「思ひ出の記」に、怪談の書物について「私は古本屋をそれからそれへと大分探しました」と記しています。きっと、神田の古書店街などに足を運んで入手したのでしょう。
短い話だった「琵琶秘曲泣幽霊」を、セツは自分なりに工夫してハーンに語って聞かせました。『ばけばけ』のなかで、トキが「開門」と言う場面があります。
これは、もともと平家の武士の霊が「門を開け」と言うところを、インパクトが薄いと考えたセツが「開門」と言い換えたエピソードに基づいています。住職が芳一に「おまえは八つ裂きにされてしまうぞ」と言う場面の「八つ裂き」という表現も元の書物にはなく、セツと八雲が考え出したものです。
セツが「芳一、芳一」と呼びかけると「はい、私は盲目です。あなたはどなたでございますか」と答えるほど、ハーンは「耳なし芳一」の世界に没入していました。なお、『ばけばけ』のヘブンのように、顔に経文を書いて驚かせたというエピソードはありません。
また、いわゆる「のっぺらぼう」の話である「むじな」は、町田宗七編『百物語』に収録された「御山苔松」が元だとされています。初代三遊亭圓朝らが行った「百物語」の会を書籍化したもので、『百物語』が刊行されたのは明治27(1894)年、ハーンが『怪談』の執筆に力を注いだのは明治35(1902)年以降なので、セツにとっても比較的入手しやすかったのでしょう。ハーンの持っていた『百物語』も、富山大学の「ヘルン文庫」に収蔵されています。
ただし、「御山苔松」には「のっぺらぼう」は登場しません。その代わりに、「顔の長さが二尺もあろうという化け物」が登場して主人公を驚かせます。では、なぜ「のっぺらぼう」を登場させたのでしょうか。
ハーンは幼い頃、アイルランドのダブリンの家でジェーンという女性の幻を見た際、彼女がのっぺらぼうで気絶するほど驚いたという経験があったことを「私の守護天使」というエッセイに記しています。
また、明治36(1903)年にセツが購入した江戸時代の妖怪絵本『狂歌百物語』にも、印象的なのっぺらぼうの挿絵が掲載されていました。セツがこの本を見せたとき、ハーンは大いに喜んだそうです。「御山苔松」に自身の経験や『狂歌百物語』などで得たインスピレーションを合わせて、「むじな」にしたと考えられています。
そのほかにも、各翻訳版の『怪談』のあとがき解説や各種論文には、「食人鬼」「ろくろ首」など、それぞれの怪談の元になった説話などが掲載されています。日本に伝わるさまざまな怪異の話をセツが入手して語って聞かせ、時にはセツが演出し、時にはハーンが翻案して、『怪談』は出来上がっていったのです。
※高石あかりさんの「高」は「はしごだか」
参考:ラフカディオ・ハーン『怪談』(集英社)、『妖怪に焦がれた男 小泉八雲全解剖』(宝島社)小泉セツ「思ひ出の記」、宮田尚論文「“芳一ばなし”から『耳なし芳一のはなし』へ」、増子和男論文「のっぺらぼう考――中國古典文學の視點から(上)」、小泉凡「八雲と妖怪」第5回「のっぺらぼう」小泉八雲記念館公式Instagramより
(大山くまお)

