『風、薫る』主人公たちの同期・工藤トメの“モチーフ”の広瀬梅の波乱万丈すぎる人生とは?
朝ドラ『風、薫る』の主人公たちの仲間「工藤トメ」にも「モチーフ」の人物がいました。どんな女性だったのでしょうか?
困った人がいたら見過ごせない女性

2026年前期のNHK連続テレビ小説『風、薫る』で、主人公の「一ノ瀬りん(演:見上愛)」、「大家直美(演:上坂樹里)」らとともに看護婦として働いているのが、「工藤トメ(演:原嶋凛)」です。りんのモチーフは近代看護の礎を築いた大関和、直美のモチーフは大関和とともに看護の世界をリードした鈴木雅だと発表されています。では、トメにもモチーフがいるのでしょうか?
正式には発表されていませんが、トメのモチーフとして考えられているのが、広瀬梅(以下、梅)という女性です。梅は、大関和や鈴木雅とともに桜井看護学校(ドラマに登場する梅岡看護婦養成所のモチーフ)で学び、トレインドナース(訓練された看護婦)として活躍しました。
トメは青森の農家の出身ということになっていますが、梅は岡山出身です。トメは20歳で梅岡看護婦養成所にやってきますが、梅も大関和と鈴木雅より10歳若い18歳で桜井看護学校に入学しています。桜井看護学校の集合写真を見ると、トメと同じで小柄だったことをうかがわせます。
後に岡山の県会議長を務める梅の父は、「女に学問はいらない」という当時としては一般的な考えの持ち主で、幼い頃から勉強が好きで教師になりたかった梅を裁縫学校にしか通わせませんでした。梅は家出同然で上京し、苦学の末、ミッションスクールである桜井女学校に入学します。
桜井女学校で聖書と出会い、人の役に立つ仕事につきたいと考えた梅は、看護学校が設立されると、看護婦になることを決意して入学しました。そして「マーガレット・バーンズ(演:エマ・ハワード)」先生のモチーフとなった、アグネス・ヴェッチからナイチンゲール方式の看護を学びます。卒業後は英語教師として勤めながら、災害が起こると一目散に被災地へ向かう「災害支援ナース」として活躍しました。
なかでも大きな被害があったのは、1896年の明治三陸大津波です。約2万2000人以上の人びとが亡くなるなか、東京から駆けつけた梅は懸命に救護活動にあたりました。避難所で誰からも引き取られず、ひとり残された赤ん坊を見た梅は、引き取ることを決意します。交通網が寸断されたなか、赤ん坊を背負って100km以上も歩いたそうです。
東京に戻った梅は、旧約聖書からとって「ルツ子」と名付けた赤ん坊を寮で育てますが、後にクリスチャンの夫妻から養女にしたいという申し出があり、彼女を託します。
その後、結婚した梅ですが、アメリカのサンフランシスコで日本人移民が差別と貧困のなかで苦しんでいることを知ると、単身渡米し看護婦・助産婦として日本人を助けました。困っている人を見ると、どうしても見過ごせない人だったのです。
数年遅れで夫も渡米すると、夫婦は6人の子供を産み育てながら、日本人学校を設立し、日本語や日本史を教えました。サンフランシスコで夫妻を知らない日本人はいないと言われるほど、頼りにされたそうです。
その後、日本で戦争が始まり70代になっていた梅は帰国を決意しますが、帰途のハワイで夫と死別してしまいます。日本に帰ったのは、75歳になったときでした。
終戦後の1953年、85歳になっていた梅は、57年ぶりにルツ子と再会します。その6年後、1959年に91歳で永眠しました。懸命に人を助け続けた、波乱万丈の生涯だったといえるでしょう。
2025年に上演されたミュージカル「拝啓、ナイチンゲール様」は、『風、薫る』と同じく田中ひかるさんの『明治のナイチンゲール 大関和物語』が原案で、梅を主人公にした物語でした。
『風、薫る』でトメのこれからの人生がどのように描かれていくのか、注目です。
参考:『別冊太陽 大関和 明治のナイチンゲールたち』(平凡社)
(大山くまお)
