「これは絶対に買う」復刻で6月発売 手塚治虫の「封印作品」とは? 日本のタブーを扱った衝撃作
“マンガの神様”として知られる、手塚治虫さんの「封印作品」が復刻されます。一体どのような内容だったのでしょうか?
在日朝鮮人が主人公の物語

「マンガの神様」として知られる手塚治虫さんの「幻の作品」である短編『ながい窖(あな)』が、2026年6月2日に法政大学出版局により復刻、発売されます。
1970年の『サンデー毎日』に掲載された作品で、一度は1972年に発売された短編集『空気の底(下)』(サンミリオンコミックス)に収録されましたが、その後、絶版になり、国会図書館などでしか読めない状態でした。全400巻の『手塚治虫漫画全集』(講談社)にも収録されていません。いったい、どのような作品だったのでしょうか。
※以下、ストーリー展開にふれています。
『ながい窖』の舞台は1970年の日本です。大企業の専務「森山」は、偶然再会した旧知の友人と酒を酌み交わします。友人は森山を「趙」と呼びますが、森山はその名前で呼ばれることを好みません。朝鮮人であることをひた隠しにしている彼には、忘れられない苦しみがあったのです。
25年前の1945年、「戸狩山」という石碑のある深い穴のなかで、裸電球に照らされながら多くのやせ細った朝鮮人たちが強制労働をさせられていました。趙と友人もそこにいたのです。日本兵は趙をはじめとする朝鮮人に、容赦なく竹刀をふるって苛烈な虐待を加えています。
戸狩山とは、岐阜県の瑞浪市(現在)にある地名のことです。戦争中、日本軍によって強制連行された多くの朝鮮人と中国人が、この場所で地下軍需工場を建設するため、長大な地下壕を掘る工事に従事させられていました。この場所では、今でも慰霊祭が行われています。
生き残った趙は戦後、日本国籍を取得して森山姓を名乗りました。企業人として成功を収め、大きな家で家族とともに暮らしていますが、そこに友人から匿うよう頼まれた「除」という名の青年がやってきます。
彼は北朝鮮から日本へ密入国を繰り返し、捕まって大村収容所に収容されていましたが、そこから脱走してきたのです。除の目的は、満州の間島省から日本へ向かって帰って来られなくなった、生き別れの母親を探すことでした。
大村収容所(現:大村入国管理センター)とは、長崎県大村市にあった朝鮮人向けの収容所です。刑務所以上の厳重な警備が敷かれ、1980年代まで被収容者は悲惨な暮らしを強いられていました。満州の間島省は、満州国政府と朝鮮総督府によって朝鮮人入植計画が実施された土地です。除の母親も、朝鮮から間島省へ連れていかれました。
森山は除に冷たく接しますが、娘の「亜沙子」は好意を持ち、母親探しを手伝います。しかし、除と亜沙子は刑事に追われ、トラックにはねられてしまいました。
娘の遺体を引き取りに向かった森山は、亜沙子を「友人の娘さん」と呼びます。森山は娘が密入国者の除と一緒にいたこと、そして「朝鮮人の娘」だと露見することを極度に恐れたのです。
息子はそんな父親を侮蔑し、朝鮮人学校に入学して祖国のことを学びますが、通学途中に日本人の学生たちによるリンチに遭って重体に陥ります。1960年代から70年代にかけて、こうした日本人学生による朝鮮高生への暴力事件が多発していました。
病院から知らせを受けた森山は「うちのせがれではありません」と言いますが、リンチをした学生たちが通う学校の校長に「たかが朝鮮人のことで責任もてというんですかね?」と言い放たれると、ついに激昂します。
「わしは朝鮮人だ! それがなぜわるい!!」
『ながい窖』というタイトルは、森山が戦争中に強制労働をした地下壕のことであるのと同時に、森山が出自をひた隠しにしなければいけなかった、出口が見えない日本社会のことを指しているように思えます。
手塚さんが、なぜこの短編を「封印作品」にしたのか、その理由は分かりません。ただ、手塚さんは、かつて朝鮮人の強制連行と強制労働について「日本人として本当に恥ずかしく、申しわけなく思います」と謝罪し、「日本国民は朝鮮人の民族教育が政府に弾圧されぬようこれを阻止し、日本人の手によってこれを守っていかなければなりません」と呼びかけていました(朝鮮時報 1966年4月16日)。
今回復刻される『ながい窖』には、識者による80ページにわたる解説が付いています。本編とあわせて読みながら、改めてこの機会に手塚さんが作品を通して語りたかったことを考えてみたいものです。
(大山くまお)
