手塚治虫が激怒した、謎の「W3事件」 結果的にマンガ界の歴史は加速した…?
マンガの神様「手塚治虫」先生。偉大なヒットメーカーだけに敵は多かったに違いありません。最大の敵は事件の後に襲ってきました。
スパイがいたのか? 真相は闇のなか

今から60年前の1965年(昭和40年)、マンガ家「手塚治虫」先生と「週刊少年マガジン」をめぐる、『W3(ワンダースリー)事件』が起こりました。しかし、神のいたずらか、この事件がきっかけでマンガ界は活性化し、そして急激に発展したともいわれています。
『W3事件』を簡単に説明します。時代のヒットメーカー「手塚治虫」先生は、『ジャングル大帝』に続くアニメ作品として、雑誌「日の出」で連載していた『ナンバー7』を企画します。
ところが、その内容と酷似した、『レインボー戦隊ロビン』が他社で制作されるという情報が入り、設定を変更します。するとまた、その変更した内容に酷似した『宇宙少年ソラン』(TBS)が制作されてしまいます。
2度も続いたトラブルに「スパイ」の存在が疑われ、「虫プロダクション」社員や出入りする関係者の名前が多数挙げられ、揉めに揉め、数人が退社する騒動になります。手塚キャラでいうところの「間久部緑郎」のような人間が実在したわけですが、今も真相は闇の中だそうです。
企画を大幅に変更し、1965年3月に『W3』と改題して「少年マガジン」で連載がスタートします。同誌にとって初めてであり、念願でもあった手塚作品の連載でした。そして、アニメ化に向けてマンガは軌道に乗ると思われました。
ところがです。あろうことか、「マガジン」で『宇宙少年ソラン』のマンガ版連載が決定したのです。親会社である講談社の決定という事情もあり、編集部は止められなかったものと思われます。
これに手塚先生は大激怒し、『W3』は6回で打ち切りにします。そしてなんと、再構成した同作をライバル誌である「週刊少年サンデー」で連載開始したのです。この電撃移籍は「マガジン」には無断で行われました。一連のトラブルは、一般にはほとんど報道されなかったので、当時の読者はかなり戸惑ったと思います。
この『W3事件』はマンガ史に残る大騒動でしたが、この騒動が転じて、 マンガの世界に大革命が訪れることになります。


