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「スポ根アニメ」ブームはなぜ起きたか?『アタックNo.1』のモデルだった魔女たち

2021年12月11日(土)より、ドキュメンタリー映画『東洋の魔女』が劇場公開されます。フランス人監督が撮ったこの映画は、1964年の東京五輪で金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表の活躍を検証し、『アタックNo.1』などの「スポ根アニメ」が大人気になったことにも触れています。「スポ根アニメ」が生まれた時代背景を探ってみました。

「スポ根」を女性層にも広めた『アタックNo.1』

スポ根ブームの代表作とされるアニメ『アタックNo.1』 (C)浦野千賀子・TMS
スポ根ブームの代表作とされるアニメ『アタックNo.1』 (C)浦野千賀子・TMS

「スポ根」と呼ばれる、日本のマンガやアニメに特有なジャンルがあります。「スポーツ根性もの」の略称で、次々と現れるライバルたちを特訓の末に打ち破る熱血ストーリーで知らています。若い主人公の成長を描くのに最適なスタイルであることから、1960年代から1970年代にかけて大変な人気を博したジャンルです。その後のスポーツもの、青春ものにも強い影響を与えています。

 大ブームとなった「スポ根アニメ」の代表格に挙げられるのは、野球の世界を描いた『巨人の星』(1968年~1971年)です。川上哲治監督率いる読売ジャイアンツに入団する星飛雄馬を主人公に、虚実が入り混じるドラマチックな物語でした。「スポ根」ブームをさらに広めたのが、『巨人の星』と同じく東京ムービーが制作した『アタックNo.1』(1969年~1971年)です。女子バレーボールを題材にしていたことから女性人気が高く、幅広い人気を集めました。

「だけど涙が出ちゃう。女の子だもん」という主題歌の歌詞も印象的だった『アタックNo.1』ですが、原作者・浦野千賀子さんにインスピレーションを与えたのは1964年の東京オリンピックで大活躍した女子バレーボール日本代表チームでした。海外からは「東洋の魔女」と恐れられるほどの強さを誇っていました。

鬼コーチ、猛特訓、魔球の開発は現実に基づいていた

 五輪初のアジア開催となった東京オリンピックで金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表は、実はナショナルチームながら大日本紡績(のちのユニチカ)貝塚工場の選手たちを主体にしたチームでした。

 このチームを率いたのは大松博文監督。太平洋戦争で最も過酷だったとされる「インパール作戦」からの元帰還兵でした。大松監督は「鬼の大松」と呼ばれるほどのスパルタ特訓で、女子選手たちを鍛え上げたのです。「スポ根」の必須キャラである、鬼コーチの原型となった人物です。

 海外の強豪チームに比べ、当時の日本選手は体格面で劣っていました。そのハンデをカバーするために生み出されたのが、「回転レシーブ」や「木の葉落としサーブ」です。これら必殺技を身に付けたことで、「東洋の魔女」たちは世界を圧倒することができたのです。

 フランスのジュリアン・ファロ監督が撮ったドキュメンタリー映画『東洋の魔女』(2021年12月11日より劇場公開)は、日本代表チームが大松監督から尋常ではない猛特訓を受ける当時の様子から、引退した彼女たちのその後の姿までを伝えています。孫たちと遊ぶ優しいおばあちゃんになっている魔女たちの様子は、ほっこりさせるものがあります。

 日本代表と宿敵・ソ連(現在のロシア)が東京オリンピックの決勝戦で激突する様子が、映画『東洋の魔女』のハイライトシーンとなっています。当時の資料映像のなかに、『アタックNo.1』の主人公・鮎原こずえが奮闘するシーンも盛り込むなど、かなりユニークな構成です。エンディングには『アタックNo.1』の主題歌も流れます。ファロ監督は日本のアニメが大のお気に入りのようです。

【画像】懐かし『アタックNo.1』につながる、五輪チームの活躍(9枚)

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