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『この世界の片隅に』の舞台、呉市には何がある? バスが登れない坂道、昔も今も

時代の変化に揺れる「海軍の街」

宮原8丁目から呉の造船所を見渡す
宮原8丁目から呉の造船所を見渡す

 海軍の街としての歴史を体感できる場所としては、戦艦「大和」が建造された旧・呉海軍工廠(現・ジャパンマリンユナイテッド)があります。市の南西にある鍋桟橋(なべさんばし)行きのバスで行くことができます。

 呉駅~鍋桟橋間のバスは昭和町経由・坪の内町経由・宮原経由の3ルートがあり、景色を一望できる「歴史の見える丘公園」に行くなら、昭和町・坪の内町経由で行ける「子規句碑前」バス停の下車を案内されます。しかしここはあえて、宮原経由のバスへの乗車してみましょう。

 宮原経由・鍋桟橋行きのバスは、昭和町経由とほぼほぼ並行しているにも拘わらず、道路は10m以上も高い場所を走るため、車窓からは「歴史の見える丘公園」よりもう一段高い目線で景色を眺めることができるのです。

 眼下に見える鎮守府跡や工業地帯は、かつては2・4万人が働き(明治40年時点)、人口も最盛期には今の倍近く、40万人まで増加したといいます。海軍の職工は働き次第で東京帝国大学(現・東京大学)の工学部卒と同じ地位に就けたようで、北條周作の父・円太郎もその頃の「職工募集」の貼り紙を見て、呉工廠の造機部に就職したのでしょう。(原作マンガ第30回より)。

 その分、戦時中には激しい空襲に晒された地域でもあり、1945(昭和20)年6月22日には約180機のB-29が来襲、工廠の死者は約300人ともいわれています。すずさんは前月の工廠の空襲で海軍病院に入院している円太郎を見舞った帰り、近くの道路脇に落ちていた時限爆弾によって右手を失い、一緒にいた姪っ子・黒村晴美も幼い命を落としています。

 戦後、1950(昭和25)年に施行された「旧軍港都市転換法」によって土地は転用され、「ジャパンマリンユナイテッド」だけでなく海上自衛隊、三菱重工業などの工場群は呉の雇用を長らく支え続けてきました。しかし現在、その一角であった日本製鉄が呉からの撤退を表明、神田造船も新造船から撤退。呉で生まれ育った人びとが他地域への配置転換を余儀なくされる可能性が高く、この街はいま大きく揺れています。

 宮原経由のバスの車窓は、戦中・戦後を通じて歴史に巻き込まれてきた、まさに「歴史が見える丘」からの景色を眺めることができるのです。ただし所要時間は約30分と、昭和町経由の倍近くかかり、山裾でグネグネと登ったり降ったり。年度によっては黒字転換もあるこの路線ですが、乗り心地は少々上級者向けです。

アニメや「大和」だけじゃない、歴史を考える「聖地」

終点の鍋桟橋バス停には待合所もある
終点の鍋桟橋バス停には待合所もある

 その先の警固屋・鍋桟橋は、すずさんの幼馴染・水原哲が乗り組んでいた巡洋艦青葉が着底し、戦艦としての使命を終えた場所でもあります。そして目の前の沖合には広島・呉と四国を結ぶフェリーが悠然と航行し、原作第42回ですずさんと近所の刈谷さんが渡船で越えた「音戸の瀬戸」(倉橋島との海峡)を抜けて、松山観光港に向かいます。

『この世界の片隅に』で描かれた場所は他にも実在しており、物語が展開された時代の名残を多く見ることができます。時間のある限りゆっくり巡りながら、「取り返せない歴史がなぜ積み重なってしまったのか」を考えながら見て回るのも良いかもしれません。

(宮武和多哉)

【画像】バスと民家がスレッスレ! 『この世界の片隅に』でも描かれた急坂の終点(14枚)

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