現実の方が真っ黒? MS「ヅダ」の「政治に敗れた」があながち妄執とはいえない実例
モビルスーツ「ヅダ」は、「ザク」との制式採用争いに敗れた機体として知られます。そのテストパイロットは、性能ではなく政治に敗れたと主張しており、そしてこれを彷彿とさせるお話が現実にもありました。
「性能」だけでは採用されない「リアル」

「機動戦士ガンダム」シリーズの魅力のひとつは、虚構でありながら実在の軍事史を想起させる思索的な要素にあります。その例のひとつといえそうなエピソードが、外伝的作品『機動戦士ガンダム MS IGLOO』に登場する「ヅダ」の存在です。
ジオン公国軍の主力モビルスーツとして名を馳せたジオニック社の「ザク」に対し、同じ座を争うように開発が進められたのがツィマッド社の「ヅダ」でした。作中、テストパイロットの「ジャン・リュック・デュバル少佐」は「ヅダは政治に敗れた」と主張し、ザクの制式採用が純然たる技術的優位によるものではなく、軍内部の政治的思惑によって決したと訴えます。この一幕はフィクションでありながら、現実の航空軍事史において繰り返し現れる構図を鮮やかに想起させるものでした。
戦闘機の競作の一例として、アメリカ空軍の次期制空戦闘機計画「ATF(Advanced Tactical Fighter)」におけるYF-22とYF-23が挙げられます。1990年代、ソ連がSu-27やMiG-29といった新鋭戦闘機を投入し、西側の航空優勢に挑むなか、米国は空の覇権を揺るぎなきものとすべく、次世代機開発に踏み切りました。そこで選ばれた競作機が、ロッキード社とノースロップ社の提案した試作機であり、いずれも当時の最先端技術を結集した革新的な存在でした。
ロッキードのYF-22は最終的にF-22「ラプター」として結実し、現代において最強の制空戦闘機と称されるに至ります。一方、ノースロップが開発したYF-23は、未来的なシルエットと徹底したステルス性から今日に至るまで航空史研究者や軍事愛好家の心を捉え続けており、その優れた空力設計、低被探知性、高速巡航性能はしばしばYF-22を凌駕していたとすら語られます。
ではなぜ、より先鋭的であったはずのYF-23は制式採用に至らなかったのでしょうか。ここに「ヅダ」との不思議な符合が浮かび上がります。
YF-23の開発者、デル・ジェイコブズは後年、「YF-23は性能で勝っていたが、政治に敗れた」と述懐しています。実際、冷戦終結後の軍備縮小傾向のなかでロッキードは戦闘機製造ラインを失い、産業基盤の維持が課題となっていました。ジェイコブズによれば、アメリカ政府はその基盤を守るためにロッキードに仕事を与える必要があり、それが選定に影響を与えたのだといいます。
これはあくまでもジェイコブズの主張であり、ロッキードの技術者たちはそうではないと言うに違いありませんが、しかし、兵器選定が純粋な性能比較だけで決せられないことは珍しくありません。そこには産業維持の論理、軍部内の派閥力学、さらには国家戦略上の配慮が複雑に絡み合います。『MS IGLOO』におけるヅダの敗北もまた、ツィマッド社とジオニック社の競合関係、軍上層部の政治判断が影を落としたものとして描かれています。
注目すべきは、敗れた側がいずれも「性能では勝っていた」と信じ続けている点でしょう。ヅダのテストパイロットであったデュバルは、命を賭してその優位性を証明しようとします。ジェイコブズもまた、YF-23が持つ未来性が理解されずに葬られたと悔恨をにじませました。
彼らの主張が歴史的事実にどこまで沿うものであるかは慎重に検証を要するにせよ、軍事技術の競争において敗者が必ずしも劣等であったわけではないことは確かといえそうです。むしろ彼らは、政治という不可避の現実の中で「選ばれなかった」という宿命を背負わされ、その無念が歴史の陰に漂い続けるといえるのかもしれません。
(関賢太郎)


