『ばけばけ』東京帝大を「手紙」でクビになったヘブン 小泉八雲を激怒させた当時の学長の態度、その後の仕事は?
『ばけばけ』第24週では、ヘブンが職場の東京帝大をクビになったことが明らかになりました。
大学にいたかったわけではないが

連続テレビ小説『ばけばけ』24週117話では、主人公「雨清水トキ(演:高石あかり)」の夫「雨清水八雲(レフカダ・ヘブン/演:トミー・バストウ)」が、義父「松野司之介(演:岡部たかし)」に、東京帝国大学の講師を解雇されたことを告げました。ヘブンは学長からの手紙を見せ、自分が古い人間だと言われたことを語っています。モデルの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も、1903年1月、たった1通の手紙で解雇を通知されたそうです。
ハーンは神戸に住んでいた1895年の12月、当時の東京帝大の文科大学長・外山正一から、英文科の講師として招聘したいという連絡を貰ったそうです。
1896年2月に日本人・小泉八雲となったハーンは、そのときすでに日本に帰化する手続きを進めていたため、いわゆるお雇い外国人扱いはされなくなるはずでしたが、ハーンの著作の愛読者だった外山の尽力によって「月給400円、講義は週12時間」という契約内容になりました。執筆もしたいハーンにとっては、願ってもない条件で、彼は1896年9月に家族と上京し、帝大で働き始めます。
その後、理解者である外山は1900年3月に亡くなってしまったものの、ハーンの給料は1901年には月給は450円になったそうです。授業は大体朝から昼にかけて受け持っており、一番遅い木曜日でも15時には終わっていました。
年収4800円だったハーンの授業は人気で、彼への評価は高く、東京大学のHPにある当時の職員たちの給与(年俸)に関する説明の項目には
「総長は3,500円、文科大学学長は1,600円、文科大学にいた外国人4名の教師は1週間の講義時間もほぼ同じでエミール・エックが1,500円、カール・フローレンツが3,600円、ルートヴィヒ・リースとラファエル・フォン・ケーベルは4,440円、前任のアメリカ人教師オーガスタス・ウッドは4,200円であり、八雲が高く評価されていたことが見て取れます」
と記されています。なんと、学長の給料の3倍も貰っていたようです。
しかし、ハーンはその高給が影響し、1903年1月15日、当時の学長・井上哲次郎から手紙で解雇通知を受け取りました。この処遇にハーンは激怒します。妻のセツは当時の夫に関して、後の回想録『思ひ出の記』のなかで、
「ヘルンは大学を止められたのを非常に不快に思っていました。非常に冷遇されたと思っていました。普通の人に何でもない事でも、ヘルンは深く思い込む人ですから、感じたのでございます。大学には永くいたいと云う考は勿論ございませんでした。あれだけの時間出ていては書く時間がないので困ると、いつも申していましたから、大学を止められたと云う事でなく、止められる時の仕打ちがひどいと云うのでございました。只一片の通知だけで解約をしたのがひどいと申すのでございました」
と語っています。ハーンは基本的に心優しい人物でしたが、頑固で激情家でもありました。
また、ハーンは6年ばかり務めた時期に、大学に1年ほどの賜暇(官吏が願い出て休暇を許可されること)を求めたものの、認められず、そのことでも不信感を抱いていたそうです。
解雇通知を受け取った後は、学生たちの間でハーンの留任運動が起き、当時の新聞にも載るほどの騒ぎとなりました。その後、井上本人が西大久保のハーンの家を訪ね、授業時間と俸給を3分の1に減らして大学に残ってほしいと申し出ますが、ハーンはそれを受けず、3月31日に東京帝大を辞めました。
その後、ハーンのもとにはジョンズ・ホプキンス大学やスタンフォード大学、ロンドン大学など欧米の名門からの講義の依頼も届きましたが、彼は海外に行くことはなく、早稲田大学に招待されて1904年3月9日から週4時間、年俸2000円という条件で働き始めました。
ちなみに有名な話ですが、ハーンの後に東京帝大の英文科講師になったのは、かの文豪・夏目金之助(漱石)です。妻の夏目鏡子は著書『漱石の思い出』のなかで、漱石が
「小泉先生は英文学の泰斗でもあり、また文豪として世界に響いたえらい方であるのに、自分のような駆け出しの書生上がりのものが、その後釜にすわったところで、とうていりっぱな講義ができるわけのものではない。また学生が満足してくれる道理もない」
とぼやいていたことを振り返っていました。
※高石あかりさんの「高」は「はしごだか」
参考書籍:『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮出版社)、『小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン』(中央公論新社)、『小泉八雲 漂泊の作家 ラフカディオ・ハーンの生涯』(毎日新聞出版)
(マグミクス編集部)
