『鬼滅の刃』の「柱」は過去に何人いた? 殺された者は無数、鬼との壮絶な戦いの歴史を考えると
柱は量産できない

次は、柱の在任期間から逆算してみます。炭治郎の時代における柱の在任期間を参考にすると、多くは数年以内に戦死、あるいは重傷で引退しています。作中の最長は19歳で岩柱になった「悲鳴嶼行冥(27歳)」で、平均活動期間は、おおよそ3~5年程度と考えられます。
柱の定員は9人ですが、常に満員だったわけではありません。作中でも、一時期は7人しかいない状態が描かれています。悲鳴嶼の「柱の3分の1以上が欠けると鬼殺隊が危うい」という発言から考えても、歴史を通じて常時、柱5~6人前後で隊を維持するのが限界だったでしょう。
柱は、戦死以外にも「痣」の出現による寿命(25歳まで)、病死、老齢による引退などがあったはずです。作中では死なずに引退した元柱に、「鱗滝左近次(水柱)」「桑島慈悟郎(鳴柱)」「煉獄槇寿郎(炎柱)」の3人がいました。仮に、戦死と非戦死(引退含む)の比率を約7対3とすると、歴代の柱の総人数は大きく絞られます。
●結論
さて、計算に入りましょう。1450年頃から大正時代初期(1912~15年頃)まで、約462年間で、同時に在任していた柱は平均6人とし、柱ひとりあたりの在任期間は平均4年と、それぞれ仮定します。
単純計算では、「465年÷4年=約116期」、「116期×6人=696人」、つまり、柱在任枠が696人分ほどあったことになりました。ただ、柱は複数人が同時に在任しているため、戦死と非戦死の比率を、約7:3として実人数を割り出します。そうすると「696人分×0.35(補正係数)=244人」です。
462年の間に柱という役職は、延べ116回入れ替わりましたが、戦死と引退を考慮すると、柱はおよそ「244人」いたと考えられます。ただし、これはかなり控えめに見積もった数字なので、実際はもう少し多かったと推測し、「250人前後」とするのが妥当かもしれません。
柱とは、量産される英雄ではありません。数百年にわたり命を落とし続け、それでもかろうじて次代へとつながれてきた存在です。その果てに現れた大正時代の柱たちは、奇跡的にそろった「最後の世代」だったのかもしれません(以上は、あくまで個人の考察・推察です。あしからずご理解ください)。
(石原久稔)

