ヤンキーマンガの作者はヤンキーだったのか? 意外な事実が明らかに
ヤンキーマンガの作者は、どれくらい自分の体験をもとにしているのでしょうか。もし「元ヤン」だったのなら一体どうして「漫画家」の道へ? 作者が公にしている部分から素朴な疑問を紐解いていきたいと思います。
日本を代表するヤンキーマンガの作者の気になる学生時代は…?
一時期、「漫画家は体験したことしか描けないのか」なんて議論が盛んに交わされていましたが、少なくとも「体験」が作品に活かされること自体は間違いないといえるでしょう。とりわけ現実世界を舞台にするならなおさらです。では「ヤンキーマンガ」はどうでしょうか。「ヤンキー」と「漫画家」はどこか対局にいる存在の気もしますが、どれほど実体験に即しているのかは気になるところです。例えば『東京卍リベンジャーズ』が大ヒット中の和久井健先生は、スカウトマン時代の経験を元に『新宿スワン』を描いています。さて『東京卍リベンジャーズ』はというと……そこは明言していないようです。これは推して知るべしといったところでしょうか。
ということで本稿では3大少年誌を代表するヤンキーマンガにどれほど実体験が反映されているか、有り体にいえば作者が元ヤンだったかどうかを調べてみることに。結果いかんによっては作品の観方もまるで変わってしまうかもしれません。
●『ろくでなしBLUES』の森田まさのり先生は…?
「少年ジャンプ」のヤンキーマンガといえば森田まさのり先生の『ろくでなしBLUES』を思い浮かべる方も多いでしょう。主人公・前田太尊ら帝拳高校の血気盛んな不良どもが他校との喧嘩に明け暮れる……泥と血と汗と精液の臭い漂う傑作ですが、森田先生はその後も不良たちが甲子園を目指す『ROOKIES』を執筆してこれまた大ヒット。まさにヤンキーマンガの巨匠。これはさぞかし中学高校と武闘派に違いありません。
「まったく違いました。むしろ、“怖い”ってイメージがありましたね。」
……いきなり違いました。この発言は過去のラジオ番組出演時のものですが、森田先生いわく「想像だけで描いていた部分があった」とのこと。その割には殴る側の描写はもちろん殴られる側の描写の臨場感とくれば凄まじいもので、その桁違いの想像力には驚嘆するより他ありません。
●『クローズ』の高橋ヒロシ先生は?
続いては「少年チャンピオン」の『クローズ』の高橋ヒロシ先生。スピンオフ作品を含めシリーズ累計発行部数はなんと驚異の9000万部超え。本作の特徴はなんと言っても不良以外存在していないような舞台設定と「タイマン」描写です。ルールの整備された格闘技とは違うステゴロ……それこそ資料云々の世界ではないように思えますが、そのあたり高橋ヒロシ先生はどうだったのでしょうか?
「ヤンキーではなかったですね。まじめな子とヤンキーの間にいました」
……違いました。こちらは長野県松本市のPTA会報に掲載されたインタビューから抜粋したもの。30年にわたりヤンキーの喧嘩を描き続けている高橋先生ですら、元ヤンではないというのです。ではどうやって描いているのかといえばいわく「ヤンキーの友人の喧嘩を見物するのが何よりも楽しみだった」とのこと。そしてこの時、冷静な観察眼と血沸き立つ感覚がのちの『クローズ』執筆に大いに役立ったことはいうまでもありません。
●『GTO』『湘南純愛組!』の藤沢とおる先生は…?
続いては「少年マガジン」で『湘南純愛組!』から『GTO』で国民的ヒットを飛ばした藤沢とおる先生。……基本的に藤沢作品にはオタクカルチャーが端々に顔を覗かせています。鬼塚は綾波レイが大好きですし、『GTO』作中ではよく「猿人ラー」という語が繰り出されますし、上記2作の先生より明らかに「インドア」な気がするのですが実際のところはどうだったのでしょうか。とあるインタビュー記事によると…
“思春期は「不良」だった”が“「ファミコン」が不良少年をオタク少年へと変えていった”とのことです。
なんと、元ヤンでした。そして中学の終わり頃、引越しを機にオタクの道を突き進むことになったそう。この面舵いっぱいの方向転換あってこその藤沢作品なのだと痛感させられます。
以上、3大少年誌を代表するヤンキーマンガの作者がどれだけ実体験に即して描いているかを見てきましたが、結果として元ヤンを公言されているのは藤沢先生だけでした。(それに、藤沢先生も特にケンカに明け暮れていたというワケではない様子)。これすなわち、ヤンキーマンガも凄まじい想像力で生み出されているということに他ならず、交わらぬように思えるふたつの文化圏をつなぐ重要な架け橋でもあるのです。
(片野)