わずか4話で放送終了した作品って? 当時でも“あり得なかった”昭和アニメの珍事件
昭和30年代から始まった日本のTVアニメは、これまで多くの人びとを魅了し続けてきました。しかしアニメが生まれた初期の時代には、現代では考えられないような珍事件もたくさんあったようです。
内容が過激すぎて「抗議運動」発生も

ここ数年、『ベルサイユのばら』『UFOロボ グレンダイザー』『うる星やつら』など、昭和の名作アニメが次々とリメイクされています。こうして見てみると、昭和は時を経ても色あせない名作を数多く生んだアニメ豊穣の時代だったといえそうです。しかし同時にアニメ黎明期でもあった当時は、現代では考えられないような珍事件が目白押しでした。
例えば手塚治虫先生のマンガを原作とする『ドン・ドラキュラ』では、TVアニメ史上最短の打ち切り事件が発生しました。現代社会に生きる吸血鬼の生活をコミカルに描いた同アニメは、1982年4月5日に始まり、同年4月26日に最終回を迎えます。もちろん、もともと短期放送の予定だったわけではなく、純然たる打ち切りでした。打ち切られた理由については、TV局への電波料の支払いでトラブルがあり、放送枠を確保できなかったからとされています。
打ち切りといえば、『超攻速ガルビオン』の終わり方もインパクトがあります。1984年に放送されたロボットアニメで、「サーカスI」「ロードアタッカー」「ロードファイター」の3形態に変形する主役メカ「ガルビオン」は当時多くの子供たちを魅了しました。
1984年2月より放送が始まったこの作品は、メインスポンサーの倒産をきっかけに22話で打ち切りとなってしまいます。突然のことに制作サイドも対応が追いつかず、最終回のラストは止め絵をバックに、30秒のナレーションを流すという措置がとられました。
しかもそこで語られた内容は、敵キャラである「ヘンリー・マクミラン」のことばかりで、ラストのカットも主人公である「無宇(ムウ)」と「麻矢(マヤ)」ではなく、ヘンリーのどアップで幕を閉じます。
なかでもムウに至っては、最終回本編でハニートラップに引っかかり、全裸にされて、ガルビオンにも乗せてもらえないという散々たる扱いでした。とはいえ、それはそれで『超攻速ガルビオン』の最終回を伝説たらしめる要因になっている気もしますが……。
1981年からおよそ2年間にわたって放送された『まいっちんぐマチコ先生』も、現在ではありえないような出来事を引き起こした作品です。原作はえびはら武司先生によるお色気ギャグマンガで、最大の見どころである「マチコ先生」のサービス描写は、全国の純情少年たちのハートをくすぐりました。
スカートめくりはもちろん、ボインタッチやマチコ先生のバストまで当たり前に披露されていた同作は、家族だんらんの時間帯に放送されていたため保護者からの風当たりが強く、各校のPTAでも問題視されるようになります。京都では、1982年に保護者たち主導の「マチコ先生に抗議する会」が結成され、しまいには原作マンガの版元「学研(学習研究社)」が発行していた学習誌の不買運動にまで発展しました。
しかし抗議によってアニメが打ち切られることはなく、むしろ「どんなマンガなんだろう?」と多くの人が興味を持つきっかけにもなっていたようです。
(ハララ書房)