『あんぱん』とは「飢え」の事情が違った史実のやなせ先生 終戦後「バカみたい」と思った出来事とは
朝ドラ『あんぱん』では、嵩たちの隊の食料が尽き、恐ろしい事件も起きました。ただ、史実でのやなせたかし先生の飢餓体験は、また違うものだったようです。
戦後は逆の辛さが待っていた?

第12週目が放送中の2025年前期の連続TV小説『あんぱん』では、『アンパンマン』の作者、やなせたかし先生がモデルの「柳井嵩(演:北村匠海)」ほか兵士たちが、敵の攻撃によって駐屯地への補給路を断たれ、飢えに苦しむ姿が描かれました。
やなせ先生が太平洋戦争末期の1945年、米軍の上陸に備えて待機していた上海近郊の泗渓鎮で朝晩の薄いお粥しか支給されず、野草やタンポポまで食べる生活をしたのは事実ですが、『あんぱん』とはまた事情が違います。日本軍は上海に米軍がやってきた場合、戦いが3年はかかると想定して、かなりの食糧を用意していました。それでも兵が多いため、各人が1日に食べられる分が少なかったのです。
しかし、想定していた上海での決戦は起こらず、日本は敗戦します。戦争が終わってもすぐに帰れるわけではなく、隊は半年以上も現地にとどまりました。幅を利かせていた将校たちが意気消沈した軍隊内の雰囲気は一気に変わり、やなせ先生は演劇や歌の制作に関わったほか、もともとヤクザの兵士が現地人も入れる賭場まで開いていたそうです。
そして肝心の食事の面ではというと、
「大きな食糧倉庫にはまだいっぱい食糧が備蓄されていました」「残っている食料をアメリカ軍や中国軍に取り上げられるのも癪(しゃく)だというので、『全部食べてしまえ』というとんでもない命令が出されました」(『ぼくは戦争は大きらい ~やなせたかしの平和への思い~』より引用 小学館 著:やなせたかし)
と、戦時中とは正反対のことが起きていました。
飢えていた状態から急に食べるように言われるのもまた大変で、兵士たちは大量に食事をしては周囲を走ってまた食べるという生活をしたそうです。しかし、やなせ先生がいた泗渓鎮は戦後も平和で、食糧が奪われることもなく、余った米などは現地の住民との物々交換にも使われました。
この体験を振り返ったやなせ先生は、「バカみたいですね。戦争が終わっても、軍隊というところは融通が利かない、というか理不尽なところです」(『ぼくは戦争は大きらい ~やなせたかしの平和への思い~』より引用)と述べています。
飢えだけでなく、こういったむなしい経験も、やなせ先生の「戦争は大きらい」という思いにつながったのかもしれません。『あんぱん』では食糧が残っていない状態なので、今後上記のような場面はないと思われますが、終戦直後の嵩ほか兵士たちをどう描くのかも気になるところです。
参考書籍:『ぼくは戦争は大きらい ~やなせたかしの平和への思い~』(小学館 著:やなせたかし)、『アンパンマンの遺書』(岩波書店 著:やなせたかし)
(マグミクス編集部)

