『あんぱん』でそろそろ登場しそう? 神様・手塚治虫がやなせたかしに与えた重要な影響とは
朝ドラ『あんぱん』には、「漫画の神様」手塚治虫さんをモデルにした人物が登場することが発表されています。史実では、ふたりはどのようにして出会い、どのような影響を与えたのでしょうか?
「漫画の神様」も「無関係」「眼中になかった」

『アンパンマン』の作者、やなせたかし先生とその妻である暢さんをモデルにしたNHK朝の連続ドラマ小説『あんぱん』では、今後「漫画の神様」こと手塚治虫先生をモデルにした「手嶋治虫(演:眞栄田郷敦)」が登場する予定です。83話ではついに、手嶋の名前と彼が描いたマンガが登場しました。
史実では、手塚先生はやなせ先生に自ら製作総指揮を務めた劇場アニメ『千夜一夜物語』の美術とキャラクターデザインを依頼しています。ふたりはどのような関わりがあったのでしょうか。
1919年生まれのやなせ先生は、1928年生まれの手塚先生よりも9歳年上にあたります。戦後、上京したやなせ先生は風刺とユーモアが特徴の「大人漫画」を目指していましたが、その頃、彗星のように現れたのが手塚先生です。
1947年に発表した『新宝島』が、子供たちの圧倒的な支持を受けて大ヒットを記録しました。しかし、当時の大人漫画の作家たちの手塚先生に対する評価は低く、やなせ先生も「ぼくには無関係だった」「子供相手の赤本まんがは眼中になかった」と著書で振り返っています。
その後、やなせ先生は漫画家としてはまったくブレイクしませんでしたが、ミュージカルの舞台美術やコンサートの構成、ラジオドラマの脚本などを手がけ、忙しく過ごしていました。この頃の異名は、「困ったときのやなせさん」だったそうです。
そんななか突然、やなせ先生のもとへ手塚先生から電話がかかってきます。大人向けの劇場アニメ『千夜一夜物語』の、キャラクターデザインをお願いしたいという内容でした。手塚先生とほとんど面識のなかったやなせ先生は最初、冗談だと思いましたが、あっという間に手塚先生が率いる虫プロダクションに出社することになります。
まったくアニメーション制作の経験がなかったうえに、セクシーでアダルトな雰囲気の作品も描いたことがなかったので、やなせ先生はずっと当惑していましたが、プロデューサーはやなせ先生にお願いした理由を次のように説明したそうです。
「虫プロは鉄腕アトムのイメージが強く、スタッフも子供アニメのキャラクターに馴れているので、キャラクターは大人漫画の人に依頼しようというので、いろいろ人選した結果やなせさんに決定したんです」
大人漫画の作者で、三越百貨店でグラフィックデザイナーとして腕をふるった経験があり、新しい仕事にも順応性が高いことを見越した上で、やなせ先生にオファーが来たということでしょう。やなせ先生もみごとな仕事ぶりを見せ、作品は大ヒットを記録します。
手塚先生は大ヒットの御礼に、やなせ先生に好きなようにアニメーション短編映画を作ってほしいと申し出ました。製作費は手塚先生のポケットマネーです。やなせ先生は以前ラジオドラマの脚本として書いた、『やさしいライオン』をアニメーション映画にすることにします。
『千夜一夜物語』での経験を生かし、監督と脚本、絵コンテを自分で行い、作品はみごとに完成。1970年に劇場公開された『やさしいライオン』は大好評で、さまざまな映画賞を受賞しました。
ここから、やなせ先生の運命が動き出します。絵本を描きたい気持ちが強くなっていたやなせ先生は、映画公開の前年である1969年に児童書や絵本を専門にする出版社、フレーベル館から『やさしいライオン』の絵本を出版していました。
この絵本がアニメの好評を受けてロングセラーになり、やなせ先生はフレーベル館との結びつきが強くなって、絵本の仕事が増え始めます。そして、フレーベル館から1973年に出版されたのが、幼児向け絵本『あんぱんまん』です。この1冊が『アンパンマン』へと発展していき、やなせ先生の人生は大きく変わったのでした。
参考:『アンパンマンの遺書』(著:やなせたかし/岩波書店)
(大山くまお)
