『あんぱん』1988年はアニメ開始の「めでたい年」では終わらなかった やなせ夫妻を救った人物とは
『あんぱん』最終週では、のぶの「最期」が描かれるのかも注目です。
貴重な5年間

『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんとその妻の暢(のぶ)さんをモデルにしたNHK連続テレビ小説『あんぱん』の128話では、『アンパンマン』に惚れこんだTV局プロデューサーの「武山恵三(演:前原滉)」の熱意もあって、「柳井嵩(演:北村匠海)」が『アンパンマン』のTVアニメ化を認めました。そして、物語は日本テレビのアニメ『それいけ!アンパンマン』が始まった1988年まで進んでいます。
129話では、いよいよ10月3日の初回放送の日のエピソードも描かれるようで、主人公「柳井のぶ(演:今田美桜)」も楽しみでたまらないといった表情を見せていました。ただ、この1988年にはやなせ夫妻にとって、ある悲劇も起きています。
それは『それいけ!アンパンマン』放送開始の2か月後の1988年12月のこと、妻の暢さんにがんが見付かりました。やなせさんの自伝『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)によると、暢さんは「決して弱音を吐かない、体調が悪くても元気に乗り切っていく。自分の健康を過信してアグレッシヴに行動する」人物だったそうで、病院に行くのも嫌がっていたとのことです。
暢さんが体調を崩して検査を受けたときには、余命3か月の手遅れの状態になっており、やなせさんは医師から「既に(がんの)第四期の終わりで、第一期ならば完治したと思いますが、肝臓にもびっしりと癌が転移しており、もう手のほどこしようがありません」と言われます。以前から暢さんが痩せはじめ、頬にシミができるなどの異変が気になっていたやなせさんは、無理にでも病院に連れていくべきだったと後悔したそうです。
『あんぱん』でも、最終第26週の予告でのぶが病室にいる場面があり、視聴者から心配の声が多数出ていました。残り2話のどこかで、がんが見付かって入院するものと思われます。
ただ、史実では暢さんは余命宣告の5年後の1993年11月22日まで生きました。やなせさんがこの5年の延命の恩人だと語るのは、『アリエスの乙女たち』『天上の虹』など、さまざまな名作で知られる漫画家の里中満智子さんです。
1988年末に日本漫画家協会の理事会に参加した際、やなせさんの元気がないことに気付いた里中さんは、暢さんの話を聞いて自分もがんを患っていたこと、そして丸山ワクチン(がんの治療薬としても効果があるといわれる有償治験薬)を打つことによって7年間で完治させたことを語ります。
それを聞いたやなせさんは、日本医科大学まで行き、医師に効果はないといわれても頼み込んで丸山ワクチンを受け取ったそうです。そして、両乳房を切除する手術を受けて退院した暢さんに丸山ワクチンを打ち続けた結果、彼女の身体に変化が起きたといいます。
なんと、血色がよくなり、病気になる前の過去最高が45kgだったやせ型の暢さんは、体重が50kgまで増えたそうです。がん発見から3か月後も暢さんは元気に過ごしており、やなせさんは「奇跡というのはあるもんだ」と喜びました。がんが完治したわけではなかったものの、暢さんは当初の余命よりもはるかに長く生き、最期は苦しむこともなく、やなせさんの手を握りながら安らかに旅出ちます。
この5年の延命のおかげで、やなせさんは文化庁から勲四等瑞宝章を授与された1991年の7月に「アンパンマンの勲章を見る会」というパーティーを開いて暢さんを喜ばせたり、同年11月に暢さんと天皇皇后両陛下主催の園遊会に出席したりと、さまざまな思い出を作ることができました。
また、やなせさんの秘書を20年以上務め、現在はやなせさんの作品を管理する株式会社やなせスタジオの代表取締役をしている越尾正子さんを、暢さんが茶道教室でスカウトしたのも1992年のことです。
やなせさんは後年まで里中さんに感謝していたそうで、1996年の喜寿祝のパーティーではお客さんを楽しませようと、里中さんに花嫁役を頼んで疑似結婚式も開きました。
残り少ない『あんぱん』で、のぶの病気についてどこまで描かれるのかは分かりませんが、1988年12月に余命宣告されてから回復し、彼女の最期は描かないまま終わるという可能性もありそうです。最後まで目が離せません。
(マグミクス編集部)
