マグミクス | manga * anime * game

え、視聴率やばッ 初期アニメ『アンパンマン』は、やなせたかし本人含め低かった期待値をどれほど上回ったのか

朝ドラ『あんぱん』最終週では、ついに『アンパンマン』のアニメ『それいけ!アンパンマン』の初回放送が描かれました。

本人もしょんぼりしていた「最悪」な時間帯

柳井嵩役の北村匠海さん(2020年11月、時事通信フォト)
柳井嵩役の北村匠海さん(2020年11月、時事通信フォト)

『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんとその妻の暢(のぶ)さんをモデルにしたNHK連続テレビ小説『あんぱん』の129話では、1988年10月3日(月)のアニメ『それいけ!アンパンマン』の初回「アンパンマン誕生」が放送された際のエピソードが描かれました。日本テレビは映像の使用に関して快諾したとのことで、NHKで主題歌「アンパンマンのマーチ」のOP、1話本編、EDの「勇気りんりん」まで流れ、ネット上では大いに話題になっています。

『それいけアンパンマン』は現在まで37年間続いており、『サザエさん』『ドラえもん』に次ぐ長寿アニメとなりました。しかし、本作は当初、日本テレビや制作会社の関係者、そして作者のやなせさん本人も、成功は期待できないと思っていたといいます。

 初期の『それいけアンパンマン!』が放送されていた月曜日の17時から17時半までの放送時間は、どの局も再放送しか流していなかった時間帯で、流れていたのも一都三県だけです。やなせさんはさまざまな書籍で、最初の『それいけ!アンパンマン』の待遇を「稀にみる最悪な条件」だったと語っています。

 さらに、当時は昭和天皇が病床にあり自粛ムードが漂っていたため、当初予定されていた後楽園遊園地でのショーも中止になるなど、大々的な宣伝もできない状態でした。やなせさんは自伝『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)で、アニメの製作スタッフが調布の東京現像所に集まった頃の、暗い雰囲気のことを振り返っています。

 日本テレビのプロデューサーの武井英彦さん(前原滉さん演じる「武山恵三」のモデル)は、スタッフへのあいさつで「何をやっても二パーセントしかいかないという時間帯ですから期待しないでください」といい、アニメーション制作を手掛ける東京ムービー新社のプロデューサー、柳井一彦さんも「二クール六ヵ月の予定で出発しますが、せめて一年は続けたいですね」と話したそうです。そして、やなせさんもしょんぼりしながら「視聴率が最低の時間帯ならそれ以下には下がらない。上がるだけです」とあいさつしました。

 しかし、『アンパンマン』の人気はやなせさんたちの予想をはるかに上回っていたようで、初回放送は7%を超える視聴率を記録します。その後、10%を超える回もあり、1989年3月には『それいけ!アンパンマン』は文化庁テレビ優秀映画に選ばれました。受賞式に同席していた日本テレビの幹部は、当初全く期待していなかったためか「まさかこんなことになるとは……」と、言葉を濁していたそうです。

 1989年4月からアニメは全国放送になり、やなせさんの地元である高知県でも、やなせさん本人がスポンサーになる形で1年遅れでようやく放送がスタートします。

 こうして国民的アニメになった『それいけ!アンパンマン』ですが、原作の絵本シリーズは毎週2話分あるアニメの放送に耐えられるような数ではなく、あっという間にストーリーは枯渇し、やなせさんは次々と新しいキャラクターを考えては物語に投入していきました。その結果、『それいけアンパンマン』は2009年7月に「単独のアニメーションシリーズで最もキャラクターの多いアニメ」として、ギネス世界記録に認定されます(2009年3月までに認定されたキャラクターの数は1768体)。

 やなせさんが手塚治虫さんにキャラクターデザインを依頼された映画『千夜一夜物語』(1969年)で気付いたという、「キャラをたくさん考える才能」が大いに生かされたようです。

 また、『人生なんて夢だけど』によると、やなせさんはアニメが始まってから収入が「花形野球選手の年俸くらい」になったそうで、「ぼくもやっと人生の晩年でスレスレながらプロ漫画家としてのパスポートを貰えたような気がしました」と語っています。

『あんぱん』はもう残り1話しかないので、こういったアニメの快進撃の詳細は見られないかと思いますが、アンパンマンが全国区のヒーローになっていったことは語られるでしょう。最終回も注目です。

(マグミクス編集部)

【画像】え…っ? 「モデル?」 こちらがやなせたかしさんが「アンパンマンに似ている」と語ったイケメンな弟・千尋さんの実際の写真です

画像ギャラリー