『横山三国志』の名言「そんな物はない」の背景がエグい 関羽の「5人瞬殺」、本人も必死だった?
「そんな物はない」関羽の真顔コマが有名な、『横山光輝三国志』の名場面には、一瞬も緊張を解くことができない「決死の千里行」が背景にありました。
曹操の元を去り、劉備のもとへ向かう関羽

三国志マンガの金字塔、『横山光輝三国志』は、「待てあわてるな これは孔明の罠だ」「だまらっしゃい」など、汎用性が高い名言や名場面が盛りだくさんです。関羽が真顔で「そんな物はない」と発言するコマも、多くの人が目にしたことがあるでしょう。
関所を守る役人に「告文(通行証)はあるか」と言われた時に「そんな物はない」と返答し、役人を瞬殺して強行突破する場面です。文武にすぐれた忠義の武将というイメージを持たれている関羽らしからぬ、理不尽さや意外性を感じる人も多いと思います。
しかし、その場面に至るまでの長い経緯を知ると、「そんな物はない」に込められた関羽の心情も見えてくるのです。
なぜ関羽は関所を「強行突破」しなければいけないのか? それを知るには、この場面から少し時をさかのぼる必要があります。
後漢末期の最強武将・呂布を滅ぼし、ますます勢力を拡大する曹操と、中国北方に大勢力を築いた袁紹が対立した時代。各地の民心を集めて力を伸ばしつつあった劉備玄徳は曹操に危険視されるようになり、曹操軍の攻撃を受けて敗走します。
劉備の義兄弟である関羽は、下ヒ(ヒは、丕+おおざと)の城で劉備の妻子を守りながら戦いましたが、「関羽を家臣にしたい」と考える曹操の計略で捕らえられ降伏します。曹操のもとで礼を尽くした待遇を受ける関羽は、曹操に感謝の意を示しながらも「わが殿玄徳が見つかった時はそのもとにはせ参じてよい」と、曹操に約束させます。
かくして、曹操と袁紹の争いのなかで劉備の消息を知った関羽は、劉備の妻と子供を馬車に乗せ、曹操本人の承認を得て劉備のもとへと出発します。
しかし、曹操が承認したとはいえ、曹操の勢力圏にいる者すべてにその情報が行き渡ってはおらず、関羽は道中でさまざまな困難に直面します。そんな苦難の道のりのなかで、「そんな物はない」の名言が生まれるのです。
「忠義の将」だからこその強行突破?

劉備の妻子を連れ、劉備のいる河北を目指す関羽は、曹操軍が守る5つの関所にさしかかります。曹操の承認はこの地まで届いておらず、関所の役人は「曹操さまの告文をお持ちかな」と問い、告文を持たぬ関羽を追い返そうとします。
そこで関羽は「ならば腕ずくでもまかり通るぞ」と脅し、一瞬にして役人の首をはね、関所の守備兵たちを震え上がらせて強行突破し、次の関所へと迫ります。
ここからさらに3つの関所の役人を、関羽は次々と討ち取って進んでいきます。最後の難関は黄河の河港である滑州で、河口を守る秦キ(キは王へんに其)と対峙します。ここで「告文を持っているんだろうな」と問われた関羽が、いよいよ「そんな物はない」のセリフを口にします。
怒って斬りかかる秦キを関羽は瞬殺。関羽はここでも守備兵を威圧し、無事に黄河を渡っていきます。この一連の戦いで曹操軍は孔秀、韓福、弁喜、王植、秦キの5人全てを「首をはねる」形で殺されています。
あまりにも強引な強行軍ですが、ここまでの物語を追っていくと、関羽も「余裕のない状態」であることが理解できます。
劉備の妻子を乗せた馬車と伴の者たちを連れての長距離移動はとにかく時間がかかり、もし曹操の気が変わり、大軍で追撃してこようものなら、ひとりで対処するのは困難です。関所の突破は「時間との戦い」なのです。
関羽は「曹操の承諾をもらっている」ことについて相手の理解を求めるより、相手のリーダー格を倒して守備兵たちを威嚇し、「最速」で関所を突破する作戦を選んだと読み取ることができます。
そんな関羽は「奥方を殿にお会わせするまで死にきれんわい」と、伴の者に漏らしています。「そんな物はない」の背景には、なんとしても劉備の妻子を守って主君のもとに届けようと立ち回る、「決死の千里行」があったのです。
(マグミクス編集部)

