『ばけばけ』で描かれていない「大黒柱」を失った後の生活は 協力してくれた関係者が多数いた
『ばけばけ』最終回ではヘブンに先立たれたトキの余生は、あまり描かれていません。その後、どのように生活したのでしょうか。
名前だけ出ていた重要人物

2026年3月27日、NHKの連続テレビ小説『ばけばけ』が、第25週125話で完結しました。最終回は、主人公「雨清水トキ(演:高石あかり)」が亡き夫「雨清水八雲(レフカダ・ヘブン/演:トミー・バストウ)」との回顧録を語り、モデルの小泉セツが遺した『思ひ出の記』が完成、最後にトキがヘブンに「自分の話」をし終えて散歩に行くという場面で終わっています。
ドラマとしては非常にきれいに終わっていますが、史実のモデルがいる話のため、「ヘブンさんが居なくなって、この家の収入ってどうなったんだろう…遺産がたくさんあるのかな。生活そのままだと心配になる…」「松野家の収入源はどうなったんだろう」といった、生々しい部分が気になる視聴者もいるようです。ヘブンは1903年まで勤めていた東京帝国大学で月400円もの収入があり、著作の印税も入っていました。
まず、ヘブンのモデルの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の遺産は、しっかりと妻子(子供は実際には4人)に渡っています。彼が1896年2月に日本に帰化したのは、「遺産」が大きな理由のひとつだったそうです。ハーン分が日本人にならないと海外にいる弟ジェームズ、異母妹ミンニー・アトキンソンらに遺産を持っていかれる可能性もありました。
そして、1904年9月にハーンが亡くなった後も、「イライザ・ベルズランド(演:シャーロット・ケイト・フォックス)」のモデルであるハーンの旧友エリザベス・ビスランド(ウェットモア夫人)や、ビスランドが1889年に日本に来た際に知り合い、ハーン来日直後の世話をした米海軍の主計官ミッチェル・マクドナルド、ハーンに強い影響を与えた英訳版『古事記』を手がけ、彼が松江に来るきっかけを作った帝大教授バジル・ホール・チェンバレン、セツの遠縁の法学者・梅謙次郎などの人物が、困っていたセツたち家族に手を差し伸べます。
ビスランドはセツに『思ひ出の記』執筆を依頼した人物で、1906年に『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡(The Life and Letters of Lafcadio Hearn)』という伝記を発表して、その印税をすべて小泉家に贈りました。その後、3度来日して1911年にセツと初対面しています。
また、梅やマクドナルドはセツに安定した収入を得させるため、ハーンの著書の著作権を売って、そのお金で西大久保の家の敷地内に借家を立てて家賃収入で生計を立てるよう勧めます。そして、1905年にニューヨークのマクミラン社から出ていた『骨董』(1902年)、『日本―ひとつの解明』(1904年、ハーンの死後発表された最後の作品)の著作権が売却され、小泉家に2250ドル(4500円)のお金が入りました。
ハーンの著作の価値をよく知るチェンバレンも出版社との交渉に大きく関わり、彼のおかげでマクミラン社以外の出版社から遺族が印税を受け取ることができるようになっています。また、ハーンの長男・一雄は、セツとお礼を言いにチェンバレンの家を訪れた際、彼が流暢な日本語で「いつかきっとあなたの学費か生活費の一端になる」とハーンが自分に贈っていた手紙を渡してくれたことを、著書『父小泉八雲』で振り返っていました。
こういった関係者の協力があって、セツたちは不自由なく暮らし、一雄と三男・清は早稲田大学、次男・巌は京都帝国大学に進んでいます。『ばけばけ』にもヘブンの手紙で「チェンバース教授」の名前が出ていましたし、描かれていないだけでトキに協力してくれたヘブンの関係者がいたのかもしれません。
遺産、印税などを巡る話以外にも、セツが1932年2月に亡くなるまでの余生には、さまざまな逸話が残っています。1924年に松江に帰省した話などもあるので、『ばけばけ』では描かれなかった部分に関して、関連書籍で調べて読んでみるのも面白いでしょう。
※高石あかりさんの「高」は「はしごだか」
参考書籍:『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮出版社)、『父小泉八雲』(小山書店)、
(マグミクス編集部)
