猫を膝に乗せている感覚のものはないか…友人の提案に「天才か?」
漫画家の迷子さんによる描き下ろしエッセイ『妄想猫観察』。家の中で猫を拾い、ぐんにゃり感を楽しむ……しかし、きまぐれで猫は去ってしまいます。猫に代わるものはないかと思案したところ?
いつでも猫を愛でていたい…天才の発想

たまに家の中で猫を拾う。手順は簡単だ。
(1) 寝ている猫を見つける。
(2) 猫が起きるまで待つ。
(3) 猫があくびして起き上がって伸びをし終わったあたりで拾う。
これだけだ。
(1)、(2)は多少手間だが、仕方が無い。寝ている猫は寝かせておくべきなのだ。100億年前から決まっている。猫誕生のはるか前から決まっている。(3)は言わずもがな、寝起きならば前後不覚なので、簡単に拾わせてくれるのだ。ちなみに、動き回っている猫を拾うのは逃げたり逆に絡まれたりするのでなかなか大変だ。機嫌のいいときならばワンチャンある。
猫を拾ったあとは、思う存分堪能しよう。一押しはぐんにゃり感だ。特に寝起きの猫はぐんにゃり柔らかく、あたたかく、どこまでもやる気が無い。目に光も無い。なんせ寝起きなのだ。多分自分が今どういう状況かもいまいち把握できていないのではないだろうか。それとも、何もかも眠気の前ではどうでもいいのだろうか。永遠にどうでもいい存在でいさせてほしい。
しかし、そうして猫を抱えているとつくづく思う。ぬいぐるみがほしい。実際の猫に忠実な造りのぬいぐるみが。ふわふわ等の手触りも大事だが、ずっしりとした重量感とぐんにゃり感を何より再現したぬいぐるみ……。本物の猫は自我を取り戻すとぐにゃぐにゃと左右に揺れどこかに行ってしまうのだ。毎回迷惑をかけるのも忍びないし、どこかに売っていないものだろうか。常に膝に乗せるなどして作業したいものだ。
そんなぼやきを友人にこぼしたところ「米袋でも抱えておけ」と言われた。盲点だ。お手軽だ。天才か?
将来的には膝に米を乗せし者として生きていこう。かわいがろうと思う。名前は米太郎にしよう。
(迷子)