最近の『ファイアーエムブレム』は「ぬるくなった」はホント? 重すぎる死の変遷
数多くの作品を展開し、今も高い人気を誇っている「ファイアーエムブレム」シリーズ。その魅力のひとつは、かけがえのない「生」と取り返しのつかない「死」を描いた点にありました。その魅力は、今も変わらずに受け継がれているのでしょうか。
「個性化」と「喪失」で、ユニットにキャラクター性を持たせた「ファイアーエムブレム」の今に迫る。

1990年4月に発売されたファミリーコンピュータソフト『ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣』は、それまで「無個性な駒」としての扱いだった「ユニット」に特徴を持たせ、さらにキャラクター性も付加。替えの利かない唯一無二の仲間を率いて戦う「シミュレーションRPG」というジャンルを切り開きました。
しかも本作は、個性の付加によってユニットの価値を高めると共に、戦場で倒れたら(=HPがゼロになったら)死亡扱いでロスト(=失われる)するという過酷なルールも同時に敷き、「個性」と「命」の両面でユニットの存在を確立させました。
豊かな個性によってユニットに愛着が湧き、プレイヤーの判断ミスで気に入ったキャラがいなくなる喪失感を味わう。この見事な表裏一体がかつてないゲーム体験を生み出し、今も愛され続ける人気シリーズの礎を築いたのです。
ユニットに「生」の息吹を与え、同時に「死」の残酷さも取り入れた「ファイアーエムブレム」の魅力は、後のシリーズ作にも引き継がれていきました。ですが、ここしばらくのシリーズ作について、古参のファンから「ぬるくなったのでは?」との疑問が投げかけられています。
なぜそんな疑問が持ち上がったのか。そして、この指摘は事実なのか。生と死を描いてきた「ファイアーエムブレム」シリーズの今へ迫り、その実態へと迫ってみました。なお今回は、ゲームの難易度ではなく、あくまで「生と死」の重みや扱われ方のみに絞らせていただきます。
●疑問のきっかけは、新規ユーザーに向けた「カジュアルモード」
本シリーズについて「ぬるくなった」と指摘するポイントは、人によってさまざま。しかし、そのなかでも特に挙げられやすいのは、「カジュアルモード」の存在です。
「カジュアルモード」に設定すると、戦闘中にやられても死亡扱いにならず、次の戦いからまた参戦できるようになります。2010年7月発売の『ファイアーエムブレム 新・紋章の謎 ~光と影の英雄~』で初めて導入され、以降のシリーズ作に継承。最新作の『ファイアーエムブレム 風花雪月』にも採用されたゲームシステムです。
HPが0になっても死亡しない。それは、「ファイアーエムブレム」が打ち出した「死の重み」を、自ら軽んじるものではないか……そのように考えた方が少なくありませんし、確かにこの点だけ見ると、「死」の印象が少し変わったようにも感じます。
ですが、「倒れる=死亡扱い」という従来の緊張感が味わえる「クラシックモード」も用意されており、どちらかにするかはプレイヤーが任意で選択可能。一概に「ぬるくなった」わけではありませんが、死を回避できる選択があること自体を「甘さ」と見ることもできます。
「カジュアルモード」を搭載したことで、新規のユーザーを呼び込む間口の広さにつながった一面は否定できません。そのメリットと引き換えに、「ファイアーエムブレム」は本当に「ぬるく」なってしまったのでしょうか。