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まさかの偶然のおかげ? 企画が通せそうになかった『ナウシカ』映画化に貢献した人物とは

映画『風の谷のナウシカ』制作決定のきっかけとなったのは、大手広告代理店のある人物でした。彼は何者なのでしょうか。

『ナウシカ』映画化を後押しした人物はいったい?

『風の谷のナウシカ』場面カット (C)1984 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, H
『風の谷のナウシカ』場面カット (C)1984 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, H

 いまや日本が誇るスタジオジブリの名作の数々の足がかりとなったのは、ジブリ設立前に制作、公開された映画『風の谷のナウシカ』(1984年、以下『ナウシカ』)です。

 宮崎駿さんが原作、脚本、監督を務め、高畑勲さんがプロデューサー、久石譲さんが音楽を担当と、現在広く知られるジブリの巨匠たちがすでにそろい踏みの状態で制作されています。

 とはいえ、制作決定にいたるまでの過程は、決して順調ではありませんでした。のちのスタジオジブリ代表取締役社長であり、徳間書店の編集者だった鈴木敏夫さんの働きかけによって、この『ナウシカ』は制作公開へといたったのです。さて、この鈴木さんの「働きかけ」の過程において、宮崎さんと非常に関係の深いある人物が、キーパーソンとして浮かび上がってきます。

 映画『ナウシカ』を徳間書店で制作するには、大前提として社内会議で「企画」を通す必要がありました。徳間書店の雑誌「アニメージュ」では、すでに映画化をある程度視野に入れた上で原作マンガ『ナウシカ』が連載されていましたが、コミックスの売り上げは予想を下回る結果になっていたのです。

 これでは企画は通せないと踏んだ鈴木さんは、徳間書店の宣伝部長である和田豊さんを味方につけようと画策します。鈴木さんは給料日の夜、和田さんと一緒にサイコロを使った「教養としての博打」に興じ、それなりに負けながら、ひたすら「『ナウシカ』の賛同者が得られない」という話をし続けました。

 すると翌日、その和田さんが思わぬ朗報をもたらします。なんと彼は、大手広告代理店である博報堂のとある人物に、『ナウシカ』の企画を持ちかけることにしました。その人物の名前は「宮崎至郎」、宮崎駿さんの実の弟です。至郎さんはたまたま博報堂の徳間書店を担当する営業部に所属しており、以前から和田さんと面識がありました。

 この偶然の縁を機に、企画は大きく動き出します。徳間書店と博報堂のタッグが実現し、製作委員会が組織されました。本編の製作委員会のクレジットのなかにも、「宮崎至郎」の名前が確認できます。

 また、映画を作れるように、当時の博報堂の定款も書き換えられたそうです。『ナウシカ』のために大企業のルールまで変更したのですから、映画制作というプロジェクトの規模に驚かされます。

 この宮崎さんの実弟、至郎さんがたまたま博報堂に在籍していたこと、そしてその縁で映画『ナウシカ』が動き出したという経緯は、戦後アニメ史において無視できません。宮崎至郎さんはその後、2007年に東京都内で「白髭のシュークリーム工房」を開店しており、いまでも「トトロのシュークリーム」が人気を博しています。

参考書籍:『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』(文藝春秋)

(片野)

【画像】え…っ? 『ナウシカ』映画化の陰の立役者が作った? こちらが可愛すぎる「お菓子のトトロ」です

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