『ガンダム』ガルマは「二度殺された」といわれるワケ 親友と兄貴ふたつの「裏切り」
10月6日は「ガルマ・ザビ」の国葬が執り行われた日です。ギレンによる追悼演説で広く知られ、『機動戦士ガンダム』屈指の名シーンともいわれます。その演説、戦意高揚のプロパガンダというほかにも、重要なポイントがあるようです。
ガルマが報われなさすぎてツラい

「ガンダム」シリーズで描かれる宇宙世紀、その0079年10月6日、ジオン公国では地球方面軍司令官として戦死した「ガルマ・ザビ」の盛大な国葬が執り行われました。兄「ギレン・ザビ」による追悼演説は、アニメ『機動戦士ガンダム』屈指の名場面として語り継がれています。この演説がプロパガンダであることは広くしられますが、もうひとつ、重要な側面があったと見る向きもあるようです。
ご存じのように、ガルマはザビ家の四男として生まれ、地球方面軍司令官という要職にありました。温厚で理想主義的な性格から、ザビ家の中では異色の存在といえるでしょう。占領地ニューヤークにおいて、前市長の娘「イセリナ」との婚約を進めるなど、現地との融和を図る姿からは、彼の性格と政治的な才能の片鱗がうかがえるといえるかもしれません。
そのようなガルマを葬ったのは、親友「シャア・アズナブル」でした。ザビ家への復讐を胸に秘めた彼は、ガルマを敵前へと導きその死を招きます。「坊やだからさ」のひと言には、裏切った相手の純朴さへの複雑な感情が滲んでいるようです。
ところが、ガルマの「死」はここで終わりませんでした。国葬の壇上に立ったギレンは、弟の死を巧みに利用します。「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ! なぜだ!?」の一節などで広く知られるこの名演説は、ご存じのように、悲しみを憎悪へ、弔いを戦意へと転換させる巧妙なプロパガンダでもありました。
ファンのあいだでは、この演説をして「ガルマは2度殺された」と語られることがあります。1度目は戦場での肉体の死、そして2度目は、国葬における「個人としての死」です。ギレンの演説により、ガルマというひとりの人間は「ジオンの英雄」という偶像にされてしまいました。彼自身の意志や人格は消し去られ、国家のシンボルとしてのみ記憶される存在になってしまったのです。これを「魂の死」と表現する声も聞かれます。
そして演説は、ジオン国民の戦意を高めることには成功したといえるでしょう。とはいえこれにより、和平の可能性は大きく遠のいたともいえそうです。結果論ではありますが、プロパガンダとしての成功が、戦略的には失敗だったのかもしれません。これでジオンが勝利していれば、ガルマも多少は浮かばれる部分があったかもしれませんが、結果はご存じのとおりでした。
戦場で友に裏切られ、国葬で兄に利用される、ガルマが受けたふたつの屈辱は、戦争が個人をいかに消費するかを象徴しているかのようです。
そうしたなか、イセリナは「ザビ家の四男」でも「地球方面軍司令官」でもなく、ただの「ガルマ」として彼を悼んでいたように見受けます。政治や戦争とは無縁の、純粋な悲しみが見えるからこそ、ガルマの死がより一層、悲劇的に映るのでしょうね。
※誤字を修正しました(6日10時50分)
(マグミクス編集部)


