『千と千尋』は宮崎駿が仲のいい「10歳の少女」のためだけに作ったってホント? 彼の山小屋に遊びに来ていたのは
映画『千と千尋の神隠し』の制作動機は異例です。なんと、「たったひとりの少女」がモチベーションになったというのです。
想像以上にはっきりとした「モデル」がいた『千と千尋』の秘密

2001年の公開からおよそ20年間、日本の歴代興行収入記録1位を保持し続けてきた映画『千と千尋の神隠し』(監督:宮崎駿)は興行収入記録のみならず、第75回アカデミー賞で日本映画初となる「アカデミー長編アニメ映画賞」も受賞しました。まさに、世界中の人びとを魅了し続けている傑作です。
その本作の制作背景には、こんな噂があります。「宮崎駿監督は、この映画をたったひとりの少女のために制作した」というものです。いったい、そんなことがあり得るのでしょうか。仮に本当だとしたら、その少女がいなければ、この世界的な名作は誕生しなかったことになります。
調べてみたところ、その噂はどうやら限りなく「真実」に近いようです。その制作の経緯から順に見ていきましょう。
そもそも宮崎さんは『もののけ姫』(1997年)の製作後に、一度引退を宣言しています(この引退宣言はのちに、何度も繰り返しては撤回されることになりました)。しかし、宮崎さん本人の言葉を借りれば「業というか、煩悩というか」という理由で、再び長編アニメーションへと向き合うことになります。
その際、宮崎氏は一発で『千と千尋』にたどり着いた訳ではありません。児童文学『霧のむこうのふしぎな町』(著:柏葉幸子)が原作の『ゴチャガチャ通りのリナ』、あるいはオリジナル企画『煙突描きのリン』など、今や幻となった企画の頓挫を経て、宮崎さんはポツリと「千晶(ちあき)の映画をやろうか」と、プロデューサーの鈴木敏夫さんに呟いたのでした。
千晶さんとは当時、日本テレビの映画部でジブリを担当していた奥田誠治さんの娘(当時10歳)です。
千晶さんは毎年夏になると、長野にある宮崎さんの山小屋へ遊びに来ていました。宮崎さんは千晶さんとその友人たちを非常に可愛がっており、そんな彼女のための映画を作ろうと決意したのです。もちろん、千晶さんのためでありながらも、必然的にそれは千晶さんと同年代の少年少女のための映画、ということになります。
そして、千晶さんは主人公「千尋」のモデルになり、完成披露試写会には当然、彼女も招待されています。宮崎さんが誰よりもその反応を気にしていた千晶さんは、笑いながら「面白かった」と感想を伝え、ようやく映画『千と千尋』は報われました。宮崎さんにとって、この一言はアカデミー賞や興行収入記録よりうれしかったかもしれません。
ちなみに、『千と千尋』では千尋が川に靴を落としてしまった過去が、物語の大きな鍵を握っています。ラストカットもその靴の絵です。
これは千晶さんが山小屋近くの川で、お気に入りの運動靴を川に落としてしまった実際の出来事に基づいています。宮崎さんはこのカットで千晶さんが気付くかどうか、こっそり試していたそうで、本人はすぐに気付きました。
この事実からも、『千と千尋』が紛れもなく「たったひとりの少女」のために作られた映画であることが分かります。ラストカットが(実際はセーラームーンの靴だったにせよ)現実の少女の記憶であったことは、『千と千尋』の印象を大きく変えるのではないでしょうか。
参考書籍:『ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し』(文春文庫)
(片野)
