公開時は失敗作扱い? 高畑勲『ホルスの大冒険』が「ジブリの原点」と呼ばれる理由
『太陽の王子 ホルスの大冒険』は、1968年夏の『東映まんがパレード』で公開されました。同時上映は『魔法使いサリー』、『ゲゲゲの鬼太郎』、『ウルトラセブン』です。この並びでこの作風は確かに違和感があったかもしれません。上映時間は82分でした。
日本アニメへの挑戦だった

スタジオジブリのファンなら、一度は観て欲しいアニメがあります。1968年夏の『東映まんがパレード』(のちの『東映まんがまつり』)で公開された、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(以下、『ホルス』)です。
監督は本作が長編監督デビューの高畑勲さんで、当時まだ32歳でした。また、場面設計には当時27歳の宮崎駿さんなど、スタッフには後に日本アニメ界を代表することになるクリエーターたちが集結しています。
現在では名作として語られる本作ですが、公開当時は「暗すぎ」「子供向けではない」と評され、興行的には失敗作と見なされました。しかし、その「挑戦」は後のアニメ界に多大な影響を与え、「ジブリの原点」と呼ばれるようになります。
●「ヒルダ」はジブリキャラの源流
物語の舞台は、寒くて貧しい北の世界です。少年「ホルス」は岩の巨人「モーグ」から授かった「太陽の剣」を手に、悪魔「グルンワルド」と戦う宿命を背負います。流れ着いた村で暮らし始めますが、村人はよそ者のホルスを警戒し、恐怖や不安から互いを疑いました。
本作の際立った点は、単なる勧善懲悪の冒険物語ではなかったことです。村社会の疑心暗鬼、人間の弱さ、裏切りと連帯といったテーマを正面から描いていました。
その象徴が、ヒロインの「ヒルダ」です。ヒルダはグルンワルドに仕えながらも、村人との交流のなかで良心に揺さぶられ、自らの運命との間で苦しみ続けます。この、善悪では割り切れない人物像は、当時の子供向けアニメとしては異例でした。これが後の、『もののけ姫』の「サン」や「エボシ御前」にも通じる、複雑な境遇に苦悩するキャラの源流といえます。
ただ、こうしたシリアスで重いテーマが、子供たちには難しかったようです。明るい娯楽作品が好まれた時代だったので、その評価は芳しくありませんでした。
●時代が追いついた
しかし、1980年代に入ると、『ホルス』が再評価され始めます。TVアニメ『アルプスの少女ハイジ』や『未来少年コナン』、映画『風の谷のナウシカ』などを手掛けた高畑さん、宮崎さんの初期作品に注目が集まったのです。すると、評論家やアニメ関係者たちは、この作品の特性が時代を先取りしていたことに気付き始めます。
さらに、アニメ雑誌の取材や関係者の証言を通じて、『ホルス』が内容面だけでなく制作現場でも、当時の常識を覆すような挑戦が行われていたことが分かったのです。
当時の長編アニメ制作は、ディズニー作品を手本とした分業方式が主流でした。監督が方針を決め、各部署がそれに従って作業を進める形です。
ところが高畑監督は、スタッフを創作者として扱いました。企画段階から意見交換を重ね、登場人物の関係や感情の流れを整理した資料を共有しながら制作を進めたとされています。いまでは珍しくない手法ですが、1960年代のアニメ業界では先進的な考え方です。
当時まだ若手だった宮崎さんも、才能を見込まれて「場面設計」という重要なポストを任され、村人の生活や建物の構造、レイアウトなど、世界観の構築に深く関わりました。後年の宮崎作品の描写は、すでに『ホルス』のなかに見ることができます。
ただし、こうした初めての挑戦には時間と費用がかさみ、不本意ながら作品は失敗作と呼ばれました。それでも、この経験は決して無駄ではなかったわけです。高畑さんたちは、『ホルス』で培った経験を、その後のヒット作へ受け継ぎ、やがて1985年のスタジオジブリ設立へとつなげます。
荒削りな若き天才たちが情熱を注ぎ込んだ『太陽の王子 ホルスの大冒険』の挑戦は、日本のアニメを世界のアニメに躍進させる「最高の大失敗作」だったかもしれません。ジブリへと続く道は、この作品から始まっていたのです。
(石原久稔)
