「おはスタ?」テレ東を知らなかった、地方在住の子供たち 哀しいエピソードの数々
今の30歳前後の人のなかには『おはスタ』や『ポケモン』で育ったという人も多いでしょう。ところが同じ世代でもこれらの文化から隔絶された環境で育った人々がいます。それがテレ東圏外に住まう地方民です。人口の3割近くを占めるテレ東圏外の子供たちが感じていた『おはスタ』や「コロコロ」への疑問を明らかにしていきます。
東京には『おはスタ』という夢のような番組があるらしい…
日本全国、テレビ東京を観ることができると思ったら大間違いです。
企画力に優れた番組を量産し、今ではバラエティ界を牽引する存在となったテレビ東京(以下、テレ東)。でも、テレ東の話が出るたびに哀しい表情を浮かべる人たちがいます。そう、テレ東が放送されていない地域に住んでいる地方民たちです。天下のテレ東といえどもその系列局は全国にわずか6か所。東北や北陸、および九州の一部地域の人々は「どうやらテレビ東京というものがあるらしい」というぼんやりとした疎外感とともに成長していきます。
そしてこうした “テレ東圏外”の弊害をもろに引き受けたのが90年代における地方在住の子供たちだったと言えるでしょう。
●“ポケモンショック”が何かもわからず放送中止に…
1997年に放送が開始されたアニメ『ポケットモンスター』(以下、ポケモン)もテレ東系列です。とはいえ多くの地方局は独自に枠を設けて放送しており、 “テレ東格差”も浮き彫りになることはありませんでした。ところが同年12月に発生したいわゆる“ポケモンショック”において、それは顕在化します。国内のみならず海外メディアでも大きく報道され、ついにはアニメ『シンプソンズ』でネタにされるほど世界的な注目を集めたこの事件。そんな大騒ぎのなか、ただただキョトンとしていたのが地方の小学生でした。なぜなら問題とされたエピソードが彼らの地元ではまだ放送されていなかったのです。
その背景にあったのは“遅れネット放送”という大人の事情。テレ東圏外において『ポケモン』は1週遅れでの放送となり、当然ながら問題となったエピソードはお蔵入り。結果、何もわからぬまま『ポケモン』は放送中止となりあ然。その後、彼らは聞き得た断片的な情報から「どうやらポリゴンが悪かったらしい」というあらぬ嫌疑をかけたまま大人になっています。
●『おはスタ』の到来と「おーはー」への困惑
子供向けバラエティ番組『おはスタ』にいたっては完全に未知の領域です。地方の小学生にとって登校前に享受できる娯楽などせいぜい「きょうのわんこ」が限界で「した。そんなときに「東京の方じゃ、朝からアニメやゲームの話ばかりしてる『おはスタ』という番組があるらしい」とのうわさが流れます。「そんな馬鹿な話があるものか」と疑うも、そこから派生した「おーはー」なる、フランクにもほどがある挨拶が全国的に流行。『おはスタ』というガンダーラの存在を確信し、いよいよテレ東への羨望を募らせていくことになりました。
●「コロコロ」は疎外感を共有する装置
小学生の聖書は「月刊コロコロコミック」(以下、コロコロ/小学館)か『かいけつゾロリ』(著:原ゆたか/ポプラ社)です。ところが90年代後半、聖書「コロコロ」に異変が起こり始めます。マリオ、カービィ、ポケモンなどの人気キャラクターと並んで「怪人ゾナー」と名乗る面妖なキャラがマンガでも実写でも誌面を占拠し、また 「おはガール」や「イマクニ?」なる者がさも最初からいたような顔で「コロコロ」に登場してきたのです。地方小学生たちは「誰だ」「解せぬ」と眉間にしわを寄せるばかり。
これすなわち『おはスタ』帝国主義の始まりでもありました。(『おはスタ』がテレビ番組版「コロコロ」として企画されたことを知るのはそれよりずっと後のことです)。とはいえ彼らは“全員が平等に知らない”という状況を前向きにとらえ、「コロコロ」で垣間見れる『おはスタ』情報をもとにあれこれ想像を膨らましては楽しみ、疎外感を共有することで不思議な連帯意識をもつに至ったのです。
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月日は流れ、現在は「TVer」や「Paravi」などの見逃し配信サービスの発達で地方在住者でも簡単にテレ東の番組を視聴することが可能になり、上記のような疎外感は緩和されました。
テレ東は日本の少年少女たちにとって常に特別な存在です。『おはスタ』を観て成長すれば思い出として、観ずに成長すれば羨望の記憶として、それぞれ違った形で心の中に息づくことになりますし、「イマクニ?」が結局何者だったのかは誰も知らないままです。
(片野)