マンガの巨匠たちの「デビュー作品」 意外なジャンルを描いていた作者も
「ギャグマンガの王様」のデビュー作は少女マンガだった!
●少女マンガからスタートした赤塚不二夫先生
『天才バカボン』や『おそ松くん』などの大ヒット作で「ギャグマンガの王様」とたたえられる赤塚不二夫先生のデビュー作は、意外にも少女マンガでした。
そもそも赤塚先生が漫画家を志したのは、手塚治虫先生の『ロストワールド』に出会ったのがきっかけです。その壮大な世界感に感動し、「いい知れぬ衝動につきうごかされていて、ボクは、やみくもに、漫画がかきたくなった」のだそう。以来、見よう見まねで来る日も来る日もマンガを描き続けたという赤塚先生。そしてある時、ナンセンスな笑いで人気を博した杉浦茂先生の作品と出会い、自分の描きたいものは人を笑わせるギャグマンガだと確信するに至ったのだとか。
ただし残念ながら当時のマンガ界には、ギャグマンガの需要はほとんどなかったのだそうです。いつか自分が本当に描きたいマンガを描くためにも、マンガを描き続けていたい……そんな思いから、貸本マンガの出版社と契約してプロの漫画家となった赤塚先生。その最初の作品が、1956年に刊行された少女マンガ『嵐をこえて』だったのです。
ギャグ漫画家を目指す赤塚先生にとっては必ずしも本意ではなかったかもしれませんが、のちの『ひみつのアッコちゃん』という大ヒット作にもつながる、赤塚マンガにとって不可欠の第一歩だったに違いありません。
●楳図かずお先生のデビュー作は「お菓子の家」?
恐怖マンガの第一人者として知られる楳図かずお先生は、他にもSF、ギャグ、時代物など、幅広いジャンルを手がける多才な漫画家です。そんな楳図先生のデビュー作は、童話。「お菓子の家」といえば誰もが思い出す、グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」をマンガ化した『森の兄妹』という作品で、貸本マンガとして刊行されました。
刊行当時、つまりデビュー時は18才の高校生でしたが、驚くべきは作品を描いた年齢。なんと、中学2年生だった14才の時に描いているのです。「改漫クラブ」というマンガサークルに所属していた楳図先生は、同じサークルのメンバーで京都在住だった水谷武子先生に共作を申し込み、共著の形で完成させました。当時は山路一雄という名前で描いていたので、クレジットも「山路・水谷 合作」となっています。
2022年、85才の楳図先生は「わたしは真悟」の続編を、101点の連作絵画として発表しました。14才の時から少しも変わらぬパワーで、いまだ走り続けているようです。
漫画家の数だけデビュー作があり、その陰にはきっと、さまざまな物語があるでしょう。デビュー作を知れば、あなたの好きな漫画家の意外な一面が見えてくるかも知れませんね。
(古屋啓子)



